レームダック
レーム‐ダック【lame duck】
レームダック
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/12/12 02:27 UTC 版)
レームダック[1]、レイムダック[2](英: lame duck[1][2])とは、「役立たず」「死に体」の政治家を指す政治用語。選挙後、まだ任期の残っている落選議員や大統領を揶揄的に指すのに用いられる。転じて、米国では「役立たず」などと特定の人物を揶揄する慣用表現としても用いられている。
語源
原義は「足の不自由なアヒル」。
1700年代のロンドン証券取引所で、支払不能で債務不履行に陥った株式仲買人や証券会社を指す言葉として用いられたが、1860年代に米国の政治用語として流用されるに至った。
米国
米国の慣用表現であり、英語を公用語とする米国以外の国においても通用する用語となりつつあるが、ここでは主として米国で用いられる場合について説明する。
米国大統領
日本ではとりわけ、選挙で落選し、または、2期目の任期切れ間近に、残った任期を消化している米国大統領を指す用語として用いられる場合が多い。アメリカでレームダック・プレジデント[注 1]と呼ばれる用法である。特に中間選挙で与党の議席を減らした大統領に対しては選挙直後から使われることもある。大統領は憲法で「再選は1度まで」と規定されている。憲法上の規定はないが、大統領になった後、政治家としてほかの役職(上院議員など)に就くことはほとんどない。当然、やめるとわかっている政治家の影響力は大きく低下する。そのため2期目終了が近づくと、議会などとの政治的取引を行う余力が消失し、政策運営ができなくなる。一般に、レームダック状態にある大統領の政権下では、あらゆる決定が先送りされ、行政府全体に無気力感が漂い、政治が停滞するとされている。よって、2期目の特に最初の2年が、再選した大統領が政治的影響力を発揮できる期間とされる。
米国議会
法案や決議案などの議題もなく、単に日程を消化するにすぎない連邦議会を、レームダック・セッション[注 2]と呼ぶ。
上院・下院とも選挙は11月に行なわれ、当選した議員が登院して新議会が開かれるのは翌年1月となっている。新議会が開催されるまでの期間、任期の残っている議会が新たな法案・決議案などを審議することは少ないため、このように呼ばれる。
米国の一般用語
政治用語から転じて、一般的な用語として「役立たず」「落伍者」など、特定の人物を揶揄的に指す場合にも用いられるようになった。
同様に、財政的な危機状態であったり、あるいは累積債務が増大している法人を指すほか、破損や故障などで動かなくなった乗り物を指すなど、一般的な慣用句としても広く用いられる表現となっている。
日本
日本では、米国の政治状況を報道する際「レームダック(死に体)」などと相撲用語を用いて補足説明を施してきたが、一定程度この用語が定着した現在は、米国で用いられる用法にとどまらず、内閣総理大臣[注 3]など政権担当者や内閣を指すほかに、政党の内部で派閥領袖などが力を失いつつある場合にも使用されることもある。
単なる政治基盤の弱体化を指したり、政治的闘争あるいは政権批判における用語としても使われる一方で、単に日程を消化するにすぎない議会[注 4]を指してレームダックと呼ばれることはないなど、米国での用法から離れた用い方もなされる。
脚注
注釈
- ^ 英: lame duck president
- ^ 英: lame duck session
- ^ 野田佳彦首相が、2012年(平成24年)10月19日の民主、自民、公明3党の党首会談で解散時期を明示しなかったことにつき、2日後に前原誠司国家戦略担当大臣が「衆議院の解散時期を明示すれば、いわゆるレームダックになり、やるべきことができなくなると心配していると思う」とコメントした。[3]
- ^ 日本では1995年の阪神・淡路大震災による統一地方選挙特例法により1999年以降の兵庫県議会、神戸市会、西宮市議会、芦屋市議会で4月投票・6月1日に4年の任期開始となっており、選挙から地方議員の任期開始まで2ヶ月間は旧議員が議員身分を持ち、新議員は議員身分を持たない状況が続くことになる。
出典
外部リンク
レームダック
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/08 03:27 UTC 版)
2006年5月31日に行われた統一地方選挙では、盧武鉉政権の両極化の深化への批判やハンナラ党代表の朴槿恵への襲撃事件の影響も重なって、与党のウリ党は惨敗を喫した。この選挙は、事実上大統領および政府与党への信任選挙であったため大統領の責任論が浮上したが、「一度や二度の選挙結果に惑わされるようでは民主主義とはいえない」と述べ、与野党双方からさらに批判が巻き起こった。この選挙結果により以前から言われていた「レームダック(死に体)政権」のイメージがますます強くなり、支持率は20%を切るようになった。 2006年8月、盧武鉉は任期切れとなった尹永哲憲法裁判所所長の後任に、全孝淑憲法裁判所裁判官を内定した。しかし任命手続きに法的な瑕疵があったことを理由に国会が同意せず、憲法裁判所所長の座が空位となった。 2006年10月、国家情報院は386世代民主化闘士が北朝鮮と通じてスパイ活動をしたとして、民主労働党の幹部などを国家保安法違反で逮捕した。しかし、捜査の指揮を執っていた金昇圭国家情報院院長が突如辞意を表明し、その後、情報機関の長としては異例にも朝鮮日報へのインタビューに応じて捜査内容を語るという事件が発生した。同月、尹光雄(ユン・グァンウン)国防部長官が辞任した。宥和政策に対する批判の高まりから統一部長官の李鍾奭も辞意を表明し、国連事務総長へ転出するため辞任した外交通商部長官の潘基文と合わせて、外交・安保の責任者がすべて入れ替わることとなった。 2006年11月、盧武鉉は憲法裁判所所長の指名を撤回した。盧武鉉は議場を占拠して任命同意案の採決を阻んだ国会を非難するとともに、指名撤回を「屈服」と表して、任期を終えることのできない最初の大統領にはなりたくないと述べた。 2006年12月、盧武鉉は民主平和統一諮問会議の席上で、韓国の国防力に自信を示すと共に、在韓米軍基地移転や戦時作戦統制権の返還に反対する退役軍人に対し「アメリカの後ろに隠れて『兄貴、兄貴のパワーだけ信じるよ』とばかりしてはいられない。一度は度胸をみせるべきじゃないか」「自国軍隊の作戦統制さえきちんとできない軍隊を作っておいて、『私は国防長官です』、『私は参謀総長です』と威張りたいというのか」と反論した。この時に出された有名な言葉が"恥を知るべきだ!"。 ただ、超大国米国の力は認めて、現実的に尊重しなければならないという言葉も付け加えた。
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