国防部長官
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2010年3月26日に発生した海軍の浦項級コルベット・天安の沈没事件を受け、当時国防部長官であった金泰栄は辞意を表明したが、その後も職に留まり残務処理を行っていた。しかし、同年11月23日には延坪島砲撃事件が発生し、軍人・民間人に死傷者が出る事態となった。この際、韓国軍側の対応に問題があったとして、金泰栄は11月25日付で李明博大統領に辞表を提出。一時は李熙元大統領室安保特別補佐官が後継に決まったと報じられたが、すぐに金寛鎮の長官内定が報じられた。国会承認に向けた人事聴聞会では北朝鮮が再度砲撃を行えば空爆も辞さないと発言するなど、強硬姿勢を鮮明にした。同年12月4日に正式就任し、その日のうちに延坪島を訪問した。 朴槿恵政権への政権交代後は、長官職を退任し、地方に戻ってしばらく休養をとるつもりで公館整理を進めていた。朴槿恵大統領が指名していた次期国防部長官候補である金秉寛退役陸軍大将の身辺で次々と疑惑やスキャンダルが報じられ、同大将が指名辞退に追い込まれたことから、請われてそのまま留任することとなった。この辞退・留任劇の背景には、陸軍士官学校28期の同期である金章洙(国家安全保障室長、元陸軍参謀総長・元国防部長官)と金寛鎮、朴興烈(青瓦台警護室長、元陸軍参謀総長)の3人と、金秉寛の間のわだかまりがあると指摘する報道もあった。大統領が交代した際に国防部長官が留任するのは史上初めてのことである。
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