国防軍無罪論
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詳細は「清廉潔白な国防軍」および「ドイツ国防軍の戦争犯罪(ドイツ語版)」を参照 国防軍無罪論とはドイツにおける、いわゆる「国防軍神話」の一角を成しており「ドイツ国防軍は国家元首であるヒトラーの命令に従っただけで、戦争犯罪に関する責任はない」とするものである。これはモスクワの戦いまで陸軍最高司令官を務めていたヴァルター・フォン・ブラウヒッチュ元帥が他の四名の将軍と連名で、降伏後にニュルンベルク裁判に提出した国防軍の役割を示した覚書にその源がある。そこではドイツ国防軍は非政治的なヒトラーの道具に過ぎず、あくまでも国家元首に服従しただけであり、またユダヤ人やスラブ人に対する残虐行為はあくまでもナチス党隷下の親衛隊によって行われたもので、ドイツ国防軍はドイツの国軍として通常の戦争を行ったに過ぎないとして、ナチズム体制と国防軍を明確に分離していた。 西ドイツにおいては、1950年代に同様の認識を示すエーリヒ・フォン・マンシュタインやハインツ・グデーリアンの回想がドイツで出版されることでこのイメージは補強され、海外でもベイジル・リデル=ハートが「(国防軍は)ゲシュタポや親衛隊の犯罪行為とは無縁であった」という見方を著している。また東西ドイツにおける再軍備による旧国防軍将校のドイツ連邦軍(西ドイツ軍)および国家人民軍(東ドイツ軍)への復権がそれに輪をかける事となった。7月20日事件に関与したクラウス・フォン・シュタウフェンベルク大佐らが顕彰される一方で、国防軍はプロフェッショナルな集団であり、政治には無垢な存在としてとらえられていた。 しかし、1970年頃から国防軍の戦争犯罪に対する研究が盛んとなり、またナチズムイデオロギーとの関係も研究されるようになった。ドイツ再統一後の1995年から1999年にかけて、ハンブルク社会問題研究所(ドイツ語版)が「絶滅戦争 国防軍の犯罪1941~1944」と題したパネル展(ドイツ国防軍展示会(ドイツ語版))を開催した。このパネル展で国防軍が東部戦線においてユダヤ人の組織虐殺を行っていた事、国防軍がヒトラーの道具ではなくパートナーであった事などが主張され、ドイツを二分する激しい論争を引き起こした。連邦軍および連邦国防省はこうした問題に態度を表明する必要に迫られ、1995年6月5日に国防軍展示会について「内容はややラディカルなものの、軍事史研究所(国防省の管轄組織)の研究成果をふまえている」という評価を行っている。また11月にはフォルカー・リューエ国防相が、「国防軍は第三帝国の組織として、その頂点において、部隊・兵士とともにナチズムの犯罪に巻き込まれた。それゆえに国防軍は、国家機関として、いかなる伝統も形作ることはできない」と国防軍について批判的な姿勢を示した。 またパネル展の論調が国防軍全体が犯罪行為に関与しているようになっていたことは批判を生んだ。ヘルムート・シュミット元首相は、「私は、事実が明らかにされ、道徳的な観点から判断がなされることには賛成である。しかし、始めから1900万人 すべてを一括して中傷、さもなくば彼等の子供達にあなた方の親には罪があると信じさせるやり方では、展示の当初の目的を果たすことは全く出来ない」と批判している。1997年4月にはドイツ連邦議会において国防軍問題に関する決議を行う動きがあった。同盟90/緑の党は「国防軍は国民社会主義システムの支柱の一つであった。国防軍は組織として国民社会主義の犯罪に関与した」という決議案を提出し、ドイツ社会民主党や民主社会党の賛成を得たものの、ドイツキリスト教民主同盟の提出による「ドイツ国防軍への従事者に対するあらゆる一方的・総括的な非難に対して断固として反対する」という決議案が賛成多数で採択された。1995年8月に『デア・シュピーゲル』が行った世論調査では、46%が「国防軍はナチスの虐殺行為に関与していた」と回答している。 2000年ごろの研究ではホロコーストにおいても国防軍が何らかの形で関与していたことは明らかになってきているが、「純粋に組織的な犯罪集団」であるかどうかについては議論が存在する。2009年、ドイツの歴史家 クリスティアン・ハルトマン(ドイツ語版) は、「いわゆる『清廉潔白な』国防軍という神話について、これ以上正体を暴く必要はなくなった。国防軍の罪はあまりにも圧倒的であるために、これ以上の議論はもはや不要である」と述べている。
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