国防軍情報部の管轄下へ – ブランデンブルク隊
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/07/05 08:49 UTC 版)
「ブランデンブルク (特殊部隊)」の記事における「国防軍情報部の管轄下へ – ブランデンブルク隊」の解説
カナリスはヒッペルに対し、国防軍情報部管轄下にエビングハウス大隊のような部隊を創設するよう指示した。1939年10月25日、ヒッペルは元エビングハウス大隊のメンバーを中心とした最初の部隊第800 特殊任務 建設・教導中隊(Baulehrkompanie z. b. V. 800 または Lehr und Bau Kompanie z.b.V. 800)をつくった。 中隊員の募集はヒムラーの親衛隊とはまったく別のやり方で行われた。ヒッペルは、金髪碧眼といったアーリア人の理想を具現化した典型(Übermensch)のような者のみを採用するよりはむしろ、国内のスラヴ人、ポーランド人およびその他民族でドイツのために戦える人材を探した。何人かの志願者はイギリスの封鎖線を越えてきて入隊した。採用に関して、少なくとも一ヶ国の外国語に堪能であることが必須条件とされたが、多くの採用者は複数の言語を流暢に話せた。採用された隊員は、特定の地域の慣習や伝統を教え込まれた。作戦を行う地域の人々の習性や癖を知ることはその地域に溶け込むことや効果的なサボタージュ作戦を遂行するために必要とされた。 部隊の兵舎はベルリンの旧ブランデンブルク辺境伯領シュテンダール(Stendal)に置かれ、訓練場はオラニエンブルク(Oranienburg)のフリーデンタール(Friedenthal)付近に用意された。1939年12月15日の新隊員の入隊により、創設されて3ヶ月に満たずして中隊から大隊に拡大され、第800 特殊任務 建設・教導大隊(Baulehrbataillons z.b.V. 800)となった。 最初の大隊は前線の敵民族にあわせた4個中隊で構成された。大隊にはまたオートバイ小隊と落下傘小隊も含まれた。 第1中隊 – バルト三国/ロシア地域からの人員 第2中隊 – 英語圏地域および北アフリカ居住経験のある者 第3中隊 – ズデーテン・ドイツ人 / ユーゴスラビア人 第4中隊 – ポーランドなどの元国外居住ドイツ人(Volksdeutsche) 大隊は更に追加の混成部隊を創設して拡大した。カフカースからの人員で構成された、いわゆるアラブ旅団はブランデンブルクと連係をとり、中東方面の作戦に従事した。
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