国防軍宣伝部
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1939年4月、国防軍宣伝部(Abteilung für Wehrmachtspropaganda)が情報部長ヴィルヘルム・カナリス提督の命令により設置される。宣伝部はOKW情報部の指揮下にあったが、1939年夏頃からは作戦部長アルフレート・ヨードル将軍の直轄に置かれる事になる。そして1942年には新たな指揮官としてヴェーデルを迎え、より規模と権限を強化した国防軍宣伝局(Amtsgruppe für Wehrmachtspropaganda, WPr)へと発展したのである。当初、宣伝局はWPr IからWPr IVまでの4グループに分けられていた。WPr Iでは宣伝局の運用および戦時宣伝の指揮を、WPr IIでは国内宣伝を担当した。またWPr IIIは当初海軍宣伝を目的に設置されていたが、戦争が始まると軍内部での検閲も任務に加えられた。WPr IVは最も規模が大きいグループで対外宣伝を担っていた。WPr IVの指揮官はアルブレヒト・ブラウ中佐(Albrecht Blau)で、外国語雑誌の出版や対外報道を行い、同時に海外報道への応答(敵国宣伝放送の否定など)を行なった。1940年1月、新たに陸軍宣伝を担うWPr Vと空軍宣伝を担うWPr VIが設置された。WPr Vは心理戦の専門家として知られるクルト・ヘッセ中佐(Kurt Hesse)に率いられていたが、ヴァルター・フォン・ブラウヒッチュ元帥の命令による独自の戦時宣伝展開を試み、ゲッベルス率いる宣伝省と軋轢を生むこととなる 。
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