国防軍の成立
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「ナチス・ドイツの軍事」の記事における「国防軍の成立」の解説
「英独海軍協定(英語版)」および「ラインラント進駐」も参照 1935年2月26日には陸軍総司令部(OKH)、海軍総司令部(OKM)(ドイツ語版)、空軍総司令部(OKL)(ドイツ語版)が設置され、陸軍・海軍・空軍の三軍編成が確立された。3月16日には徴兵制施行が宣言され、ヴェルサイユ条約での軍備制限条項の破棄が事実上宣言された。同時に国軍(ドイツ語: Reichswehr)は国防軍(ドイツ語: Wehrmacht)に改称された。また、5月には国防省(ドイツ語版)(ドイツ語: Reichswehrministerium)も「戦争省(Reichskriegsministerium)」と改称されている。7月1日には兵務局が参謀本部に改称した。 ヒトラーは再軍備の規模を「海軍はイギリスの35%、陸軍はフランスと対等、空軍はイギリスと対等」と指定し、陸軍と空軍に軍事予算の大半を振り向け(1935年の軍備予算82億2300万ライヒスマルクのうち、陸軍40億ライヒスマルク、空軍33億ライヒスマルク、設備資材等1億6300万ライヒスマルク)、海軍は7億6000万ライヒスマルクと軍事予算の一割弱の配分であった。再軍備の際に決定された平時陸軍の規模は12軍団36個師団と、50万人規模であった。 こうした動きに連合国は反発し、英仏伊はストレーザ戦線と呼ばれる連合を行って反発したが、これは強力なものではなかった。イギリスと強い連携をもつべきと考えていたヒトラーは特使ヨアヒム・フォン・リッベントロップをイギリスに派遣し、6月18日に英独海軍協定(英語版)を締結した。これはイギリスがヴェルサイユ条約の枠を超えたドイツの再武装を公認したということであり、フランスをはじめとした各国に大きな衝撃を与えた。フランスはソ連・小協商と協調する「東方ロカルノ」の構築に動くが、その結果もはかばかしくなく、二国間条約である仏ソ相互援助条約(英語版)の締結にとどまった。またイタリアは第二次エチオピア戦争の開始によってストレーザ戦線から離脱し、「ベルリン=ローマ枢軸」と呼ばれるドイツとの連携を模索し始めた。 ヒトラーはこの様子を見て、ヴェルサイユ条約によって非武装地帯とされ、前年まで連合軍が駐屯していたラインラントへの進駐を考えるようになった。1936年3月7日、仏ソ相互援助条約の締結を口実としてドイツ軍はライン川を越え、非武装地帯への進駐を果たした。この時期のドイツ軍は極めて弱体であり、ヒトラーも危険な賭であると認識していたが、連合国は動かなかった。またドイツは7月から始まったスペイン内戦に「義勇兵」として空軍部隊コンドル軍団と戦車部隊を派遣し、大きな戦果と経験を獲得した。ただしヒトラーはフランスとイタリアの対立を煽るために内戦の継続を希望し、フランコの圧勝は望んではいなかった。 一方で国防軍も軍備の拡大を構想していた。8月1日にはフリードリヒ・フロム兵器局長がドイツ軍の動員計画「8月計画」をブロンベルク国防相に提出した。この計画書では1940年の段階で平時兵力83万人、3個の機甲師団を持つ陸軍を編成し、有事の動員兵力は462万人という極めて大規模な要求であった。この大規模な人員増加により、以前から軍に属していた軍保守派の影響力は低下しつつあった。ナチス政権獲得時の陸軍現役将校は4000人ほどであったが、1937年には25000人に達していた。彼らはナチズムの影響を強く受けており、旧来の軍幹部の権威は通じにくくなっていた。しかし国防軍側は兵役期間中の党活動を禁止する方針を継続し、退役兵士で構成される「国家社会主義兵士連盟」設立に反対し、これを中止させるなどナチ党の影響力増大を阻む動きも行っていた。 またこれらの軍拡を支える軍事中心の経済運営は経済の過熱を招き、食糧や原料の輸入が困難になった。原料逼迫は工業の能率を下げ、軍備拡大のテンポも目に見えて低下した。ヒャルマル・シャハト経済相は軍事支出の抑制を主張したが、さらなる軍備拡大を臨んだヒトラーはシャハトを解任し、9月9日のニュルンベルク党大会でゲーリングを責任者とする「四カ年計画」を始動させた。四カ年計画においては各軍需物資の自給化が要請され、また短期債によるさらなる軍備拡大が行われるなど、軍事的色彩の濃いものであった。ヒトラーは8月の秘密覚書の中で「4年以内に戦争ができる体制」を作ると記している。しかし戦時経済体制の構築は困難を極め、資源やイデオロギーなどの障壁によって十分な成果は得られなかった。
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