原料の輸入
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/09 00:22 UTC 版)
ニューヨーク棉花取引所の調査によれば、1929~1930年度の世界棉花の五割以上をアメリカが産出していた。アメリカ棉は割高ではあるが品質が良かったため、一番にアメリカ、二番にイギリスで消費されてきた。しかし、外国棉の品質が上がり、不作でアメリカ棉の品質が落ちたため、また、日本がイギリスから中等品や下等品の大市場を奪っていたため、イギリスは割高なアメリカ棉の使用を減らし、代わりに割安なインド棉を使用するようになった。 1932年、インド棉が不作となりアメリカ棉と同等まで割高となったため、日本はアメリカ棉の下級品を代用した。同年、インドの紡績業界は損害を受け、日本綿布がダンピングされているとして、関税引上げを要求した。インドは、ダンピング防止法を制定して日本へと適用するため、1933年4月に日印通商条約廃棄を日本に通告した。
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