植民地と門戸開放
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/03 03:20 UTC 版)
産業革命により、工業原料の輸入や製品の輸出が求められるようになる。工業化をすすめる国々では、資源や輸出のための地域獲得を行った。地球の表面積の約40パーセントが、イギリス、フランス、ドイツ、イタリア、オランダ、ベルギー、アメリカ合衆国、日本の植民地、保護領、委任統治領となった。 植民地の貿易は、宗主国の都合に合わせて整えられた。インフラストラクチャーは宗主国が求める産業に優先され、農業は換金作物が多くなり、食料自給率が低くなる。工業では宗主国から製品が輸入されて、宗主国が必要としない製造業の発展が遅れたり、宗主国と競合する産業が衰退した。技術者、経営者、官僚は宗主国の者が多く、現地出身の人材が不足する。こうした問題が最も深刻となったのが、アフリカであった。 植民地の獲得は、各国の保護貿易による競争や対立と結びつく。アフリカやアジアは数カ国によって分割されるか、門戸開放政策で競争が激化して武力衝突も起きた。アフリカはベルリン会議により分割され、中国をめぐっては欧米と日本の対立へとつながった。
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