原料の変遷
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/03 07:38 UTC 版)
最も原始的な形の蝋燭は蜜蝋(ミツバチが巣を作るために腹部から分泌するロウ)を使った「蜜蝋燭」で、紀元前3世紀頃には西洋や中国で製造されていたと言われている。 古代エジプトではミイラ作成などで古くから蜜蝋が使われており、2300年前のツタンカーメンの王墓からは燭台が発見されていることから、蝋燭が古くより使われていたと見られている。紀元前3世紀のエトルリア(現在のイタリアの一部)の遺跡から燭台の絵が出土し、この時代に蝋燭があったことは確かだとされる。この時代の中国の遺跡でも燭台が出土している。 ヨーロッパにおいては、ガス灯の登場する19世紀まで、室内の主な照明として用いられた。キリスト教の典礼で必ず使われるため、修道院などでミツバチを飼い、巣板から蜜蝋燭を生産することが行われた。釣燭台(シャンデリア)は本来蝋燭を光源とするものであり、従僕が長い棒の先に灯りをつけ、蝋燭にそれぞれ点火した。蜜蝋燭の他には獣脂を原料とする蝋燭が生産された。マッコウクジラの脳油を原料とするものが高級品とされ、19世紀にはアメリカ合衆国を中心に盛んに捕鯨が行われた。 日本で蝋燭が最初に登場したのは奈良時代で、仏教と共に伝来した中国からの輸入品の蜜蝋燭と考えられている。平安時代になり遣唐使が廃止されたため蜜蝋燭に代わって松脂蝋燭の製造が始まったともいわれている。10世紀中頃の『和名類聚抄』巻十二の記述には、「唐式云少府監毎年供蝋燭七十挺」と説明・記述されている。その後、室町時代には日本でも本格的な蝋燭が作られたが、宮廷や一部の寺院などでしか使うことができない貴重品だった。その後、ハゼノキや漆の実を原料にした「和ろうそく」が作られるようになった。江戸時代中期には各地でハゼノキの栽培が奨励され和蝋燭の生産は増えたが、庶民にとっては高価な照明であり日常生活ではあまり使用されなかった(行灯等も参照)。明治時代になり西洋蝋燭の輸入や国産化が始まり、昭和初期まで数百の和蝋燭の業者があったが次第に専門業者は減っていった。
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