国防軍との対立
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/01/05 14:02 UTC 版)
はじめ国防軍はSSを「アスファルト兵士」と呼んで馬鹿にしていたが、次第に看過できなくなり、SSを敵視して圧力をかけてくるようになった。特に陸軍総司令官ヴェルナー・フォン・フリッチュ上級大将がSS特務部隊の勢力拡大について頻繁にヒトラーに抗議をしていた。国防軍は特務部隊については国防軍兵役免除相当と認めていたが、SS髑髏部隊とSS士官学校については兵役免除相当とする事を拒否し続けた。マスコミを通じての特務部隊の隊員募集も国防軍から禁止されていた。1937年10月には国防軍の圧力でSS国境警備隊も解散させられた。SS師団の創設という約束も毎年先延ばしにされていた。 しかし1938年2月4日に国防相ブロンベルク元帥と陸軍総司令官フリッチュ上級大将はSSや空軍総司令官ゲーリング上級大将の策動でスキャンダルを理由にして解任された(ブロンベルク=フリッチュ解任事件)。ヒトラー自らが国防相を兼務し、国防省は国防軍最高司令部(OKW)に改組され、その長官にはヒトラーの「イエスマン」ヴィルヘルム・カイテル砲兵大将が就任し、また陸軍総司令官には同じくヒトラーに恭順的なヴァルター・フォン・ブラウヒッチュ砲兵大将が就任した。さらに粛清人事が行われ、ナチ党に非協力的だった16人の将軍たちが強制退役させられた。 とはいえ国防軍を掌握したヒトラーがSSに肩入れするようになったわけでもなく、引き続き国防軍とSSの対立は続いた。ヒトラーに従順なカイテルでさえSSによる軍事介入の阻止が自分の任務と心得ていた。
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