国防義勇部隊への統合とは? わかりやすく解説

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国防義勇部隊への統合

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/18 01:13 UTC 版)

国防義勇軍」の記事における「国防義勇部隊への統合」の解説

1907年に、陸軍大臣のリチャード・ハルダン(en:Richard Haldane, 1st Viscount Haldane)の主導により、義勇軍ヨーマンリー民兵常備軍予備兵力として統合する再編計画1907年国防予備軍法(Territorial and Reserve Forces Act 1907)」が制定された。これは第二次ボーア戦争でまたも発生した常備軍兵力不足の経験から、より機能的かつ大規模な予備兵力の必要が認識され立案されたものである第二次ボーア戦争では、前述義勇軍のほか、ヨーマンリー人員基幹海外派遣部隊としたインペリアル・ヨーマンリーなども出動し、すでに1901年にはヨーマンリー全てをインペリアル・ヨーマンリーへと種別変更する措置もとられていたが、なお不十分と考えられたのであった。 この計画に基づき1908年4月1日国防義勇部隊テリトリアル部隊Territorial ForceTF)が創設され従来義勇軍ヨーマンリー民兵統合された。創設時編制は、歩兵師団14個とヨーマンリー騎兵旅団14であった所属する歩兵大隊207個は常備軍連隊管理下に置かれ例えロイヤル・スコット連隊の第4大隊から第10大隊国防義勇部隊系列である。国防義勇部隊の任務は、第一義的には戦時における本土防衛定められ原則として海外へ派遣行わないものとされた。他方で、志願があれば部隊個人での海外任務も可能であった1910年時点では海外派遣志願者は1割以下にとどまった1914年8月第一次世界大戦勃発する海外派遣の必要が増し、これに応じて同月中に70個以上の大隊フランス派遣志願したまた、海外派遣用の第2線大隊従来大隊ごとに増設され、例え既存のイースト・サリー連隊第5大隊は第1/5大隊改名し増設大隊は第2/5大隊というように命名された。師団同様に増設され、例えウェセックス師団第2線大隊から構成される第2ウェセックス師団新編しており、後に第45師団改名させている。これらの新設師団当初エジプトインドなど植民地警備送られたが、消耗した常備軍部隊交代して1915年以降には西部戦線前線へ展開した第1線大隊海外派遣された後には、第2線大隊自由に運用できるように、さらに後詰第3線大隊増設された例も多く終戦時には全部692個の歩兵大隊有する至った第3線大隊のほとんどなど本国残った部隊は、新兵訓練本土警備行っている。 もっとも、国防義勇部隊遠征能力には疑問抱かれ陸軍大臣ホレイショ・キッチナー新たな志願兵部隊であるキッチナー陸軍創設している。国防義勇部隊消耗が進むと、キッチナー陸軍からの補充新規徴集増加したため、国防義勇部隊独自性薄れていった。

※この「国防義勇部隊への統合」の解説は、「国防義勇軍」の解説の一部です。
「国防義勇部隊への統合」を含む「国防義勇軍」の記事については、「国防義勇軍」の概要を参照ください。

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