国防義勇軍への再編
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第一次世界大戦の終結後、1920年初めから国防義勇部隊への新たな志願兵募集が始まり、同年2月に再編成が完了した。その後、1921年10月1日をもって、国防義勇部隊は国防義勇軍(Territorial Army)へと公式に改称した。 再編成された国防義勇軍では、師団数は創設時の14個が維持されたものの、歩兵大隊数は削減されて40組の統廃合が命じられた。騎兵部門であるヨーマンリーも大幅な削減対象となり、55個のヨーマンリー騎兵連隊のうち、歴史の古い14個のみが乗馬騎兵として残された。残りのヨーマンリー連隊は、装甲車部隊や砲兵隊に改編されるか、解隊された。1922年の軍縮でも部隊規模の縮小が行われ、砲兵中隊の砲数が6門から4門に減らされるなどしたが、新たにロンドンの防衛を担う防空旅団2個が創設された。 1932年に、本土の沿岸防衛が国防義勇軍の専権となり、各地の要塞部隊の強化が行われた。防空用のサーチライトの設置などが実施されている。 1938年9月のミュンヘン危機の際には、防空部隊が動員された。翌1939年3月にチェコスロバキアがドイツに制圧されたのに対応して、同月29日に国防義勇軍は再び第2線部隊の編成を行い、その兵力は44万人に倍増した。うち野戦部隊は13万人から34万人に増えて26個師団編制となり、防空部隊には残り10万人が配属された。8月下旬から9月にかけて各部隊は動員態勢に入り、第二次世界大戦中は各地で常備軍部隊とともに実戦参加した。ノルウェーに派遣された第49師団の第146旅団と第148旅団や、シンガポールの戦いに加わった第18師団などが知られる。
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