国家安全保障室長
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2014年6月29日に国防長官を退任し、国家安全保障室長に就任した。 2014年10月4日、柳吉在(リュギルジェ)統一相と共に、2014年アジア競技大会閉会式にあわせて訪韓した北朝鮮の最高幹部3名(朝鮮人民軍総政治局長の黄炳瑞、朝鮮労働党統一戦線部長の金養建、国家体育委員長の崔竜海)と会談し、今後の南北高官協議の開催に同意した。 2015年8月4日に発生した、軍事境界線の非武装中立地帯(DMZ)に仕掛けられていた地雷の爆発で韓国軍兵士2名が足を切断する重傷を負った事件を受けて、8月10日に韓国政府は北朝鮮による仕業と発表、報復措置として北朝鮮に向けた大型拡声器で金正恩体制を批判する政治宣伝放送を始めた。これに北朝鮮側が反発し、8月22日17時30分までに放送をやめなければ軍事的報復措置を採るとして「準戦時体制」への移行を宣言し、南北間の緊張が高まっていた。これを受けて同22日夜から25日未明にかけて、韓国側から金寛鎮と洪容杓(ホン・ヨンピョ)統一相、北朝鮮側からは黄炳瑞と金養建が出席して板門店で会談を行い、北朝鮮が地雷事件に遺憾を表明することを交換条件に韓国が放送を中止することなどに合意した。韓国側から国家安全保障室長の金寛鎮と統一相、北朝鮮側から黄炳瑞と金養建という顔ぶれは、2014年10月の会談と同一であり、南北の交渉窓口としては最高位のものであった。 2017年5月、文在寅政権の誕生により退任した。
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