細谷治嘉
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/28 05:24 UTC 版)
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細谷 治嘉(ほそや はるよし、1912年9月21日 - 1997年1月19日[1])は、日本の政治家。衆議院議員(9期)、大牟田市長(2期)、福岡県議会議員。従三位。勲一等。
略歴
1912年千葉県白子町に生まれる。1933年横浜高等工業学校卒業。同年、三井化学三池染料工業所に勤務。福岡県議会議員を経て、1955年、大牟田市長選挙に出馬し現職の田中忠蔵を、305票差で破り初当選。1959年、再選。1962年、次回の選挙の不出馬を表明。1963年、第30回衆議院議員総選挙福岡3区に日本社会党から出馬し、初当選。以後9期連続当選。1977年12月、衆議院石炭対策特別委員長[2]。1988年8月、衆議院本会議で永年在職議員として表彰される。1990年2月、第39回衆議院議員総選挙に出馬せず息子の細谷治通が地盤を引き継ぐ。同年4月、勲一等瑞宝章を受章する。1997年、死去。
参考文献
- 衆議院・参議院『議会制度百年史 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
- 『新訂 政治家人名事典 明治~昭和』日外アソシエーツ、2003年。
脚注
公職
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先代: 田中忠蔵 |
![]() 1955年 - 1963年 |
次代: 円仏末吉 |
議会 | ||
先代: 岡田春夫 |
![]() |
次代: 古川喜一 |
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