田中修_(政治家)とは? わかりやすく解説

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田中修 (政治家)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/11/26 03:14 UTC 版)

田中修

田中 修(たなか おさむ、1888年明治21年)11月25日[1] - 1965年昭和40年)3月9日[1])は、日本の内務官僚福岡県大牟田市長

経歴

福岡県御井郡、後の三井郡北野町[1](現久留米市北野町)で永利伝次郎の二男として生まれ、田中政の養子となった[2]福岡県立中学明善校第五高等学校を経て[1]1915年大正4年)、東京帝国大学法科大学政治科を卒業し、1917年(大正6年)10月に文官高等試験行政科試験に合格した[3][4]内務省に入省し[4]愛知県属、同南設楽郡長、北海道庁空知支庁長、京都府理事官奈良県書記官・学務部長、佐賀県書記官・警察部長鳥取県書記官・警察部長群馬県書記官・警察部長広島県書記官・警察部長佐賀県書記官・内務部長、愛媛県内務部長、鹿児島県総務部長、長野県総務部長などを歴任した[2][3]

退官後の1938年(昭和13年)、大牟田市長に就任し、1946年(昭和21年)まで務めた。この間、戦時下の対応、水害の復興、上下水道の拡張などに尽力した[1]。市長退任後は公職追放となり[5]、養家の合名会社田中酒造場(現・千年乃松酒造)を経営した[1]

出典

  1. ^ a b c d e f 『大牟田市史』下巻、932-933頁。
  2. ^ a b 『帝国大学出身名鑑』
  3. ^ a b 『全国市長銘鑑』pp.106-107
  4. ^ a b 『日本官僚制総合事典:1868 - 2000』219頁。
  5. ^ 公職追放の該当事項は「翼賛支部長」。(総理庁官房監査課 編『公職追放に関する覚書該当者名簿』日比谷政経会、1949年、651頁。NDLJP:1276156 

参考文献

  • 校友調査会編『帝国大学出身名鑑』校友調査会、1934年。 
  • 『自治制実施五十周年記念 全国市長銘鑑』帝国自治協会、1938年。 
  • 総理庁官房監査課『公職追放に関する覚書該当者名簿』日比谷政経会、1949年。 
  • 大牟田市史編集委員会編『大牟田市史』下巻、大牟田市、1968年。
  • 秦郁彦編『日本官僚制総合事典:1868 - 2000』東京大学出版会、2001年。



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