公明党・新進党
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1990年、第39回衆議院議員総選挙に旧東京6区から公明党公認で立候補し、初当選した。公明党の当選同期に北側一雄、山口那津男がいる。当選後は市川雄一公明党書記長の下、副書記長を務める。 1993年8月、細川内閣で外務政務次官に任命された。 1994年、公明党の解党に伴い公明新党を経て新進党結党に参加する。 1995年の新進党党首選挙では、小沢一郎新進党幹事長を支持した(小沢は羽田孜副党首を破り、第2代新進党党首に就任)。 1996年の第41回衆議院議員総選挙では比例東京ブロック単独で立候補し、3選。 1997年の新進党解党に際しては、旧公明党系議員が小沢への反発を強めたのに対し、東や二見伸明、権藤恒夫らは親小沢の旗幟を鮮明にし、旧公明党議員らが結成した新党平和や黎明クラブではなく、小沢を党首に自由党を結党した(ただし、自由党は、1998年の第18回参議院議員通常選挙では、東京都選挙区で公明代表浜四津敏子を推薦した)。
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