戸田城聖とともに
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/18 07:00 UTC 版)
牧口とともに逮捕され、終戦直前に出所した理事長戸田城聖が創価教育学会を再興して「創価学会」とすると、和泉も戸田の元に馳せ参じた。戸田が戦前から営んでいた出版社「日本正学館」、東京建設信用組合、大蔵商事と戸田に付いて働き、大蔵商事では代表取締役社長としてオーナーの戸田を支える一方で、ミヨとともに創価学会の最高幹部として活躍する。 1949年(昭和24年)1月3日、後に創価学会会長、名誉会長となる池田大作が日本正学館に入社し、和泉は池田の上司となった。創価学会では初代小岩支部長として東京都東部を中心に折伏を展開、折伏大行進初期の学会を引っ張った。1951年の戸田の会長就任にあたっては理事長の小泉隆に次ぐ「筆頭理事」に、1952年、江東総支部長(小岩、本郷、向島、城東を傘下)に就く。1954年(昭和29年)の総会で一度退くものの、1958年(昭和33年)、戸田の死を受けて創価学会理事に再任された。
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