戸田宣光とは? わかりやすく解説

戸田宣光

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/04/17 05:08 UTC 版)

 
戸田 宣光
時代 戦国時代後期
生誕 不明
死没 永禄11年1月25日1568年3月3日[1]
別名 甚五郎[2][3]
戒名 高徳院惟声全香[1]
墓所 全久院[1][3]
官位 丹波守[2][3]
主君 今川義元氏真徳川家康
氏族 戸田氏
父母 父:戸田宗光[3]
母:輪庭祐法[注釈 1][2]
兄弟 尭光、宣光真喜姫、政直、重真[3]
玉晧院珠峰総球[注釈 2]
重貞忠重[5]
テンプレートを表示

戸田 宣光(とだ よしみつ)は、戦国時代後期の武将。三河国渥美郡国人戸田氏の14代当主。

生涯

戸田氏は戦国時代に渥美半島で勢力を持った有力な国人で、父の宗光田原城主を務めた。姉妹の真喜姫岡崎城松平広忠に嫁ぐなど、三河を席巻した松平氏に属したこともあったが、やがて三河に伸長してきた駿河国戦国大名今川氏に服属した。宣光は当初宝飯郡牛窪郷鍛冶村[注釈 3]に住んだが、天文10年(1541年)に南進して二連木城に移ったのだという[2][3]

弘治2年(1556年奥平貞勝が今川氏に背くと、奥平氏支城の雨山城攻略に加わる。その後、二連木城を嫡男の重貞に譲って隠居し、全香と号して渥美郡岩崎に住む。永禄元年(1558年)菩提寺の全久院に寄進し、諸役免除等の特権を与える。永禄4年(1561年野田城主の菅沼定盈が今川氏に背いて松平元康(徳川家康)に属すと、吉田城将の大原資良に従って野田城攻撃に加わったが、後に西郷氏とともに和睦の仲介を行って野田城を開城に導いた。

永禄7年(1564年)吉田城に人質として置かれていた妻が重貞の手によって救出され、宣光は重貞・忠重の二子とともに徳川氏の麾下に加わった。同年、重貞は吉田城の戦いで戦死し、3年後の永禄10年(1567年)には忠重も死去したが、家康は忠重の遺児・虎千代に戸田氏の家督継承を認め、子孫は戸田松平家として繁栄した。永禄11年(1568年)に岩崎、あるいは二連木で死去[6][7][5]

脚注

注釈

  1. ^ 出身氏族・俗名は不明[4]
  2. ^ 出身氏族・俗名は不明[2]
  3. ^ 現在の愛知県豊川市中条町。

出典

  1. ^ a b c 飯沼 1925, p. 6.
  2. ^ a b c d e 飯沼 1925, p. 5.
  3. ^ a b c d e f 『寛政重修諸家譜』, p. 318.
  4. ^ 飯沼 1925, p. 4.
  5. ^ a b 『寛政重修諸家譜』, pp. 318–319.
  6. ^ 河内 1989.
  7. ^ 飯沼 1925, p. 5-6.

参考文献


戸田宣光

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/06 02:07 UTC 版)

徳川家康 (山岡荘八)」の記事における「戸田宣光」の解説

田原御前の兄。戸田弾正長男

※この「戸田宣光」の解説は、「徳川家康 (山岡荘八)」の解説の一部です。
「戸田宣光」を含む「徳川家康 (山岡荘八)」の記事については、「徳川家康 (山岡荘八)」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「戸田宣光」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「戸田宣光」の関連用語

戸田宣光のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



戸田宣光のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの戸田宣光 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの徳川家康 (山岡荘八) (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS