最高幹部として
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/18 09:43 UTC 版)
「メフメット・シェフー」の記事における「最高幹部として」の解説
首相としてシェフーはホッジャに次ぐ権力を維持し、アルバニアがソビエト連邦と対立すると同じ反ソ連の立場から中華人民共和国との関係強化に尽力した。これに伴い中国から援助を受ける一方で、中国の国連代表権問題では1971年に提案したアルバニア決議の取りまとめにホッジャと一緒に奔走し中国の国際的立場の回復に一役買った。しかし中国がアメリカに接近して反共的な国々と国交を樹立し始めると、ホッジャは中国に反感を持ち1981年には関係を断絶し、同時に唯一の頼りであった中国の援助も途絶。ホッジャがいわゆるホッジャ主義を唱えルーマニアや北朝鮮などとも対立し始めると、アルバニアの孤立化につながるとシェフーは危惧しホッジャの言動に反感を持つことになったとされている。一方でホッジャもシェフーが自らの地位を脅かしかねないと警戒し、シェフーの息子がアメリカ合衆国で反共運動に関わっていた女性と結婚したこともホッジャの猜疑心を強めることになった。
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