阿部憲一 (国会議員)とは? わかりやすく解説

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阿部憲一 (国会議員)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/07/02 15:26 UTC 版)

阿部 憲一
あべ けんいち
1967年3月21日撮影
生年月日 1909年11月30日
出生地 日本 長野県北佐久郡岩村田町(現・佐久市
没年月日 (1989-03-28) 1989年3月28日(79歳没)
出身校 東京帝国大学経済学部
所属政党 公明党
称号 勲二等瑞宝章

選挙区 東京都選挙区
当選回数 2回
在任期間 1968年7月8日 - 1980年7月7日
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阿部 憲一(あべ けんいち、1909年11月30日 - 1989年3月28日)は、日本政治家参議院議員(2期、公明党)、学校法人創価学園理事長を歴任。

来歴

公明党委員長の竹入義勝(左側)とともに都知事選の作戦を練る阿部(中央)

長野県北佐久郡岩村田町(現・佐久市)出身。旧制野沢中学(長野県野沢北高等学校)、旧制水戸高等学校[1]を経て、1933年東京帝国大学経済学部卒。卒業後は海運会社に勤務し、1949年栗林商船取締役から1961年飯野海運取締役を経て、1965年渋沢海運社長に就任。また、創価学会理事を務める[2]

1967年の東京都知事選に無所属(公明党・推薦)で立候補したが、得票数3位で落選(当選者は美濃部亮吉)。

1968年第8回参議院議員通常選挙東京都選挙区(改選数4)から公明党公認で立候補して、第1位で初当選。なお3位当選は、前年の都知事選で同じく落選した松下正寿であった。

1974年、再選。この間、参議院法務委員長、党中央委員などを歴任した。

1980年4月の春の叙勲勲二等に叙され、瑞宝章を受章する[3][4]。同年の参院選に立候補せず政界から引退し、学校法人創価学園理事長となる。

1989年3月28日、死去した。79歳没。

脚注

  1. ^ 「長野県人名鑑」p.4
  2. ^ 宮村文雄「学者戦争の都知事選」 『経済往来』1967年4月号、経済往来社、155-167頁。
  3. ^ 阿部 憲一」『新訂 政治家人名事典 明治~昭和』https://kotobank.jp/word/%E9%98%BF%E9%83%A8%20%E6%86%B2%E4%B8%80コトバンクより2022年12月12日閲覧 
  4. ^ 『官報』号外第26号48頁 昭和55年5月6日号

参考文献

外部リンク

議会
先代
小平芳平
参議院法務委員長
1970年 - 1973年
次代
原田立



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