阿部成章
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/17 04:56 UTC 版)
| 引退 | |
|---|---|
| ポジション | ガード |
| 基本情報 | |
| 日本語 | 阿部成章 |
| 国籍 | |
| 生年月日 | 1947年9月22日(74歳) |
| 出身地 | |
| 身長(現役時) | 176cm (5 ft 9 in) |
| キャリア情報 | |
| 出身 | 加茂水産高校 日本体育大学 |
| 選手経歴 | |
| 1969-1977 | 日本鉱業 |
| 獲得メダル | ||
|---|---|---|
| バスケットボール | ||
| アジア競技大会 | ||
| 銅 | 1970 バンコク | 男子 |
| 男子アジア選手権 | ||
| 金 | 1971 東京 | |
阿部 成章(あべ しげあき、1947年9月22日(74歳) - )は、山形県鶴岡市出身の元バスケットボール選手である。山形県加茂水産高校、日本体育大学卒業。ポジションはガード。
来歴
入社一年目の第4回日本リーグでは、MVPこそ日本鋼管の谷口正朋に譲ったが、ベスト5・新人王・得点王とタイトルを総なめした。その時に手が届かなかったMVPも日本鉱業の日本リーグ初優勝時(第4回)に獲得している。日本リーグのベスト5は第4回大会から第8回大会まで5年連続獲得している。
全日本としてミュンヘンとモントリオールの五輪2大会に出場[1]、モントリオールでは主将を務め、準決勝リーグのプエルトリコ戦で34点を叩き出した。これは現在でもバスケットボール男子日本代表のオリンピック最高得点である。
日本体育大学から実業団の強豪チームへ入社した第一号であり、これ以降日本体育大学の選手が実業団チーム入りするようになった。プレーヤーとして秀でていたことに加え、多くのプレーヤーの範となった。日本リーグの第一号外国人選手だったジェローム・フリーマン(松下電器)が、『月刊バスケットボール』のインタビューで「日本人選手で一番好きな選手は阿部さん」と発言している。
引退後はコーチ・ヘッドコーチなどを歴任。 ポジションについては「ガード」という記述もあるが、単にガードというよりは、NBAでいうピート・マラビッチ的な選手であり、現在ではコンボガードあるいはスウィングマンにあたる。当時所属の日本鉱業でも「ガード」という枠では使っていない。
脚註
- ^ “男子日本代表オリンピック全戦績”. 2015年3月25日閲覧。
関連項目
Template:1970年アジア競技大会バスケットボール男子日本代表
固有名詞の分類
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