李玉慈とは? わかりやすく解説

李玉慈

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/05/14 10:23 UTC 版)

李 玉慈
Lee Ok Cha
引退
国籍  大韓民国
生年月日 (1952-08-03) 1952年8月3日(72歳)
出身地 大韓民国
経歴
選手時代:
1978-1980 シャンソンVマジック
コーチ時代:
1990-1991 シャンソンVマジック
2001-2004 富士通レッドウェーブ
2004-2006 シャンソンVマジック
2014-2016 アイシン・エィ・ダブリュ ウィングス
2020-2023 シャンソンVマジック

李 玉慈(Lee Ok Cha, 1952年8月3日 - )は、大韓民国の元バスケットボール選手で現在は指導者。元女子韓国代表監督の鄭周鉉夫人。

来歴

崇義高卒業後、商業銀行を経て1978年に来日し、日本リーグ昇格まもないシャンソン化粧品に加入。1980年までプレー。バスケットボール女子大韓民国代表にも選ばれた。

引退後は指導者に転じ、1981年より信用保証基金のヘッドコーチを務め、1990年に古巣シャンソンに復帰。日本リーグ・オールジャパンの2冠に導いた。

1991年に帰国し、母校のヘッドコーチに就任。全国大会優勝に輝く。

1999年からは龍仁大ヘッドコーチとして、ここでも全国大会優勝に導いた。

2001年より富士通レッドウェーブのヘッドコーチに就任。Wリーグに定着させ、今日の富士通の基盤を作った。2003年にはコーチ・オブ・ザ・イヤーを獲得。

2004年、夫が監督を務めるシャンソンのヘッドに復帰。Wリーグ連覇に導いた。

2006年退任。同年韓国代表コーチに就任。

2012年からWKBL、KDB生命のヘッドコーチに就任。

2014年、アイシン・エィ・ダブリュ ウィングスのヘッドコーチに就任。2016年退団[1]

2020年、シャンソンVマジックのヘッドコーチに就任[2]

2023年2月22日、7選手が退団した責任を取り退任[3]

参照

  1. ^ 女子バスケットボール部 引退者について”. アイシン・エィ・ダブリュ ウィングス (2016年6月1日). 2016年6月1日閲覧。
  2. ^ 新ヘッドコーチ就任のお知らせ”. シャンソンVマジック (2020年5月1日). 2020年5月1日閲覧。
  3. ^ “Wリーグ名門シャンソン化粧品、李玉慈監督と7選手の退団を正式発表 昨年末から帯同しない選手続出”. スポーツ報知. (2023年2月22日). https://hochi.news/articles/20230222-OHT1T51215.html?page=1 

外部リンク

先代
富士通レッドウェーブヘッドコーチ
2001 - 2004
次代
中川文一




固有名詞の分類


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