李王杓とは? わかりやすく解説

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李王杓

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/02/27 16:32 UTC 版)

李 王杓(イ・ワンピョ 이왕표、1954年6月11日[1]2018年9月4日)は、韓国プロレスラー大木金太郎の元に弟子入りし、大木引退後の韓国プロレス界を支えた。

来歴

テコンドーのチャンピオンとして鳴らし、1975年に金一道場に弟子入りした。全日本プロレスに留学生として参加した後、1983年にはジャガー・リーのリングネームで新日本プロレスに参戦。1992年の7月オリエンタルプロレスの旗揚げに他の韓国人選手らと参戦[2]。ベースボールマガジン社主催の東京ドーム大会「夢の懸け橋」の大木の引退式にマネージャーとして参加した[3]。東京プロレスにキム・ドクとの韓国コンビで参戦したのを最後に来日はせず、社長兼レスラーとして試合を度々行った。2008年には、ボブ・サップと異種格闘技戦を行う[4]。2015年に引退。2018年9月4日、胆嚢癌により64歳で逝去した[5]

タイトル歴

得意技

脚注

注釈

  1. ^ 現在、 LAND'S ENDプロレスリングが管理している王座とは別王座で、かつて大木金太郎が保持していた王座。1992年5月4日に李が日本には殆ど報道されないまま獲得していることが明らかになっているが、対戦相手や獲得した場所は「覚えていない」とのことで、防衛回数等も不明。所持しているベルトは李の自宅に飾られている。

出典

  1. ^ “스승 곁으로 간 이왕표” (朝鮮語). 일요시사. (2018年9月10日). https://www.ilyosisa.co.kr/news/article.html?no=151925 
  2. ^ 『週刊ファイト』新大阪新聞社、1992年8月6日、10頁。 
  3. ^ 『『必殺!プロレス激本VOL.4』 』双葉社、1998年5月15日、28頁。 
  4. ^ 【写真】イ・ワンピョとボブ・サップの血戦”. 中央日報. 2023年4月3日閲覧。
  5. ^ 韓国プロレス界の第一人者イ・ワンピョさん、がんで死去”. 中央日報. 2023年3月13日閲覧。
  6. ^ World Wrestling Association World Heavyweight Title”. Wrestling-Titles.com. 2023年5月6日閲覧。
  7. ^ GWF World Heavyweight Title”. Wrestling-Titles.com. 2023年5月6日閲覧。
  8. ^ NWA Oriental Heavyweight Title”. Wrestling-Titles.com. 2023年5月6日閲覧。
  9. ^ NWA Oriental Tag Team Title”. Wrestling-Titles.com. 2023年5月6日閲覧。
  10. ^ Far East Heavyweight Title”. Wrestling-Titles.com. 2023年5月6日閲覧。
  11. ^ 『Gスピリッツ Vol.45』、辰巳出版、2017年11月5日、73-74頁。



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