夢の懸け橋とは? わかりやすく解説

夢の懸け橋

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/25 02:18 UTC 版)

週刊プロレス」の記事における「夢の懸け橋」の解説

1995年4月2日ベースボール・マガジン社主催オールスター戦『夢の懸け橋』が東京ドーム行われた。 メジャー・インディー・UWF系・女子プロレスから全13団体参加した。ただし、「各団体純潔メンバーでのカード提供する」といったコンセプトのもと、各団体間の交流戦一切行われなかった。全13団体選手一堂会す豪華さと、当時団体交流断っていた全日本プロレスが他団体と同じ興行参加するといったプレミア性が重なり会場には6万人観衆詰めかけた。試合の他には大木金太郎引退セレモニー行われた(なお、公に出ている記録の類は週刊プロレスによる増刊号のみである。試合結果はこちらを参照。No.135 SWS取材拒否以来パラレル・ワールド現出。)。 だが、ベースボール・マガジン社を除くと本興行記事として報じたのは週刊ファイトのみであった主催者であるBBM社が全ての発表週刊プロレススクープ記事という形でのみ行い、「他紙誌を排除した私的な大会」との印象を他マスコミ与えたことが興行黙殺繋がったといわれている。この件について、当時ゴング編集者は「一マスコミ興行私物化以外に、それに伴う脅迫出場しない紙面での扱い制限される等)のような概念が各団体にあったため、その独裁的な影響力などにも警鐘を鳴らすため」という意の懐述をしている。また、週刊プレイボーイからは「『戦後50年を問う』というコンセプトなのに馬場猪木もいない。こんな大会をやった意味は何なのか」という意見出た。 なお、WAR以前から同日同時刻に東京ドーム隣接する後楽園ホールでの興行を行うことが決定していたため、「夢の懸け橋」への参加要請拒否。自らの興行決行し、こちらも超満員観客集めた週刊ゴングは「反『夢の懸け橋』」を謳って同大会をバックアップ主催共催としなかったのは、夢の懸け橋に対してマスコミ興行をすること自体問題である」と当初から公言していたため)。反ターザン山本急先鋒もしくはゴング寄り)とされた長州力出場相まってさながら週プロ大会様相呈していたという。週刊ゴングは、この大会参加した長州の反山本的な発言巻頭掲載長州その中で「俺は(プロレスマスコミは)東スポ一本でいいと思っている」と語っている。 このように、『夢の懸け橋』の成功反動として週刊プロレスへの大きな反発生んだ新日本プロレス始めとする複数団体が、週刊プロレス取材拒否通告したり、山本編集長退任前述)したのはその翌年のことである。 2010年になって山本は『夢の懸け橋』について「僕ではなくむしろ、当時週プロ勢いに目をつけた、ベースボール・マガジン社事業部主導だった」などと主張し自分あくまでも被害者であると言い張っている。 『夢の懸け橋』から14年経過した2009年12月31日山本プロデュースによる『夢の懸け橋2009大晦日プロレス祭り〜』が開催された。 参加した団体 新日本プロレス 全日本プロレス FMW みちのくプロレス IWA・JAPAN UWFインターナショナル リングス 藤原組 パンクラス 全日本女子プロレス JWP女子プロレス LLPW軍団

※この「夢の懸け橋」の解説は、「週刊プロレス」の解説の一部です。
「夢の懸け橋」を含む「週刊プロレス」の記事については、「週刊プロレス」の概要を参照ください。

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