みちのくプロレス
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みちのくプロレスは、東北地方を中心に活動しているプロレス団体。
- ^ #6 売上金を全てプロモーターに持ち逃げされてみちプロ後楽園ホール初進出は所属選手全員ノーギャラだったってご存じ?【ザ・グレート・サスケの東北英雄伝】【玉川ボールのスリーカウントは叩かせない!】 2023年8月8日閲覧。
- ^ 1998年9月23日、酒田市体育館で行われたザ・グレート・サスケ&タイガーマスク(4代目)組対サスケ・ザ・グレート&マスクド・タイガー組によるマスカラ・コントラ・マスカラ(敗者マスク剥ぎマッチ)で、タイガーマスクからフォールを奪われて敗れたマスクド・タイガーのマスク剥ぎをザ・グレート・サスケが否定したことにより、スペル・デルフィンと乱闘になる。
- ^ 1998年9月27日、栄公園でイベントの一環として試合を行ってサスケが場外乱闘の末に他ブースへ殴り込んだため、みちのくプロレスにイベント主催者から苦情を受けた。9月28日、サスケがコミッショナーからリングネーム「ザ・グレート・サスケ」と入場曲「みちのくプロレスのテーマ」の使用禁止、2週間試合出場停止の処分を受けた。
- ^ 1999年2月10日、サスケのリングネーム「ザ・グレート・サスケ」と入場曲「みちのくプロレスのテーマ」の使用禁止が解除された。
- ^ 名前の語尾に絵文字の「🍎」が込みでリングネームのため可能な限り表記する。
- ^ “#217 37歳 不屈のレスラー 〜岩手発 熱きローカル魂!〜”. 民間放送教育協会 (2020年5月21日). 2020年5月30日閲覧。
みちのくプロレス
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2013年1月12日付で、みちのくプロレスに正式入団。正規軍の一員として活動しており、コスチュームには腹部に団体のロゴが入ったものになっている。また、対戦相手にヤッペーマン3号が好敵手であり非常に燃え、いない場合には試合放棄ぎみになる。入場曲は戸澤塾のアレンジバージョンである。 2014年より古傷の左ひざを手術することを決断。復帰までは9か月かかるという。欠場中に宅地建物取引士試験を受験し合格。 2014年11月1日、矢巾大会にて復帰。試合は3号にヒップドロップを交わされた後丸め込まれ敗れる。 2015年1月4日、地元函館にバーKATSUO'S HOUSEを開店(後に「ちゃんこ屋 かつお」に改名)する。 2016年に契約解除。
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みちのくプロレス
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「ツトム・オースギ」の記事における「みちのくプロレス」の解説
精霊(レイ) 森林の精霊をモチーフにした日本の覆面レスラー。 試合開始前には客席へグッズ販売などして子供に人気を博している。コスチュームのカラーは白や黒など多彩で現在はアニメ「新世紀エヴァンゲリオン」に登場する汎用人型決戦兵器(ロボット)「初号機」のカラーになっている。 初登場後、Ken45°に目を付けられて「負けたら軍団Ken入りマッチ」を組まれて軍団Kenに強制加入させられる。その際にコスチュームが白から黒へ変色してしまう。連携という名の暴行(Kenにビンタをされた挙句相手に投げつけられる)を受けて心に傷を負ったのか挙動不審なキャラクターになってしまった。しかし、Ken曰く「かわいい感じで人気を取ろうとしている計算」とのことである。やがてKenの裏切りによって軍団Kenは解散して正規軍に復帰。 めどち 河童をモチーフにした日本の覆面レスラー。 ヤッペーマン2号 ヤッターマンをモチーフにした日本の覆面レスラー。 2009年3月14日、みちのくプロレス矢巾町民総合体育館大会でヤッペーマン1号と共にデビュー。 2014年2月15日、みちのくプロレス新木場1stRING大会で正体を明かした。
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みちのくプロレス
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1991年12月、ユニバーサル・プロレスリングに入門。 1992年11月19日、ユニバーサル・プロレスリング後楽園ホール大会で覆面レスラー「獅龍(しりゅう)」としてテリー・ボーイとタッグを組んで対モンゴリアン勇牙&バッファロー張飛組戦でデビュー。 1993年1月、みちのくプロレスに移籍。 並外れた身体能力が注目され、新日本プロレスに参戦時は「欽ちゃんジャンプ」で人気を博す。 1994年9月15日、ディック東郷、テリーと共にルード軍「平成海援隊」を結成。 1995年、怪我で欠場。 1996年1月10日、怪我からの復帰を機に軍団名を「海援隊☆DX」に改名。6月14日、タッグチーム「夢狩人」で活動していたTAKAみちのくと船木勝一が海援隊☆DXに加入。 1997年3月、みちのくプロレスを退団。6月、メキシコ遠征に出発。 1998年2月23日、WCWサクラメント大会に参戦。同年、マスクを脱ぎリングネームをカズ・ハヤシに改名。6月、新日本プロレスで開催された「BEST OF THE SUPER Jr.」に出場。
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みちのくプロレス
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「ハードコア・レスリング」の記事における「みちのくプロレス」の解説
みちのくプロレスではバラモン・シュウ&バラモン・ケイが凶器攻撃を得意としている。
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みちのくプロレス
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「拳王 (プロレスラー)」の記事における「みちのくプロレス」の解説
幼い頃からプロレスへの興味と、地元の徳島ではヒーローというみちのくプロレスの新崎人生からスカウトされたということでプロレス入りを決意し、2008年3月2日みちのくプロレス徳島大会にて、対アレクサンダー大塚戦でデビューを果たした。 2009年6月19日、ザ・グレート・サスケデビュー20周年突入ツアー後楽園ホール大会において、人生の呼び込みによりサスケの挑戦を退けたフジタ"Jr"ハヤトの前に現れ、東北ジュニアヘビー級王座への挑戦を表明した。 9月5日、岩手・矢巾町民体育館にて復帰し、ハヤトから王座を奪取して第12代王者となった。 2010年、これまで3度の防衛に成功していたが11月、サスケとの防衛戦にて陥落。 2011年、プロレスリング・ノアのジュニアタッグリーグに参戦し(拳王のパートナーは剣舞。)、拳王としては初の他団体参戦となった。リーグ戦初日に対戦相手のKENTAからピンフォールを奪う金星を取った。成績は拳王の2勝2敗であった。 東北ジュニアヘビー級王座に返り咲いた際に「みちのくを変える」と2012年に拳王自身、初となるヒール軍団「阿修羅」をバラモン兄弟、日向寺塁、野橋太郎で結成する。 2013年、提携を結んだ4FW参戦のため初のイギリス遠征へ旅立った。現地でデイビー・リチャーズと東北ジュニアヘビー級王座の防衛戦を行い、勝利している。 12月13日、後楽園ホール大会で南野タケシを相手に東北ジュニアヘビー級王座の2度目の防衛に成功する。しかし試合後、拳王は自身のさらなる成長のためにプロレスリング・ノアへの本格参戦を希望して王座を返上してしまう。 2014年1月5日、みちのくプロレス所属のまま拳王のプロレスリング・ノアへの長期参戦が決定した。ノアへの本格参戦の初戦となった後楽園ホール大会にて拳王は森嶋猛、マイバッハ谷口、大原はじめと結託し、ヒールユニット「超危暴軍」の一員として活動を開始した。 3月2日、「徳島プロレス祭2014〜拳王デビュー6周年記念日凱旋記念興行〜」でKENTAと一騎討ちをするも、敗れた。 3月8日、有明コロシアム大会でGHCジュニアヘビー級タッグ王座に大原と組んで挑戦するも、敗れる。 5月31日、ディファ有明大会で原田大輔の持つGHCジュニアヘビー級王座に挑戦を表明。 7月5日、原田の持つGHCジュニアヘビー級王座に挑戦するが、敗れた。 10月12日、GHCジュニアヘビー級タッグ王座に挑戦し、奪取に成功する。(拳王のパートナーは大原はじめ。)
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みちのくプロレス
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「DRAGON GATE」の記事における「みちのくプロレス」の解説
闘龍門JAPANの旗揚げ戦の前にメキシコから逆上陸して初参戦したプロレス団体が、みちのくプロレスである。DRAGON GATEに名称を変更した後も2017年10月には、CIMAとドン・フジイのデビュー20周年記念大会にザ・グレート・サスケや新崎人生がゲスト参戦し、花を添えた。2018年9月には、椎葉おうじ、箕浦康太が神戸大会に参戦している。
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みちのくプロレス
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「DDTプロレスリング」の記事における「みちのくプロレス」の解説
ザ・グレート・サスケを中心に交流しており、2009年DDT両国大会でサスケが高木と一騎討ちを行った。また、「プロレスキャノンボール2014」にサスケやバラモン兄弟のほかにもかめっしー、郡司歩、日向寺塁、佐々木大地、新崎人生、気仙沼二郎が参戦。
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みちのくプロレス
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みちのくプロレスの詳細1993年 3月16日、みちのくプロレス旗揚げ直後から獣神サンダー・ライガーと、みちのくプロレスのザ・グレート・サスケが良好な関係を築いている。 9月29日、みちのくプロレス青森県民体育館大会にエル・サムライと当初、獣神サンダー・ライガーが参戦予定だったが怪我をしたため代打で大谷晋二郎が参戦。 1994年 6月1日、新日本プロレス仙台市体育館大会にSATO、獅龍、テリー・ボーイ、TAKAみちのくが参戦。 みちのくプロレスのテリー・ボーイが新日本プロレスに他の、みちのくプロレス所属選手と参戦した時に学生プロレス出身ということで学生プロレスを嫌う風潮があった新日本プロレスの一部所属選手から目の敵のように扱われてタッチ拒否などの理不尽な扱いを受けていた。後にプロレスに対する姿勢を目の当たりにした大谷晋二郎が報道陣の前で土下座して詫びしたことでわだかまりは解けている。 1996年 4月29日、新日本プロレス東京ドーム大会で「アメリカンドリームマッチ」として武藤敬司の化身「グレート・ムタ」対新崎人生の化身「白使」が実現してグレート・ムタが勝利。 1997年 5月3日、新日本プロレス大阪ドーム大会にザ・グレート・サスケ、スペル・デルフィン、ディック東郷、MEN'Sテイオー、中島半蔵、グラン浜田が参戦。 1999年 1月8日、みちのくプロレス札幌中島体育センター大会に獣神サンダー・ライガーが参戦。 4月10日、新日本プロレス東京ドーム大会にザ・グレート・サスケが参戦。 7月13日、新日本プロレス岩手県営体育館大会にザ・グレート・サスケが参戦。 2001年 2月18日、武藤敬司が結成したユニット「BATT」に新崎人生がメンバーに加わり新日本プロレスに参戦。 4月9日、新日本プロレス大阪ドーム大会に新崎人生が参戦。 7月20日、新日本プロレス札幌ドーム大会に新崎人生が参戦。 8月19日、みちのくプロレスニューワールド仙台大会に武藤敬司、ヒロ斎藤、後藤達俊が参戦して武藤敬司が化身「黒使無双」になって新崎人生の化身「白使」と初タッグを結成。 2002年 1月4日、新日本プロレス東京ドーム大会にザ・グレート・サスケ、タイガーマスク(4代目)が参戦。 2月、みちのくプロレスのタイガーマスク(4代目)が新日本プロレスのシリーズに1年間帯同。 12月16日、新日本プロレスのシリーズに1年間帯同していたタイガーマスク(4代目)が新日本プロレスに円満移籍。 2003年 9月23日、みちのくプロレス安比高原スキー場大会に獣神サンダー・ライガー、金本浩二、タイガーマスク(4代目)が参戦。 2004年 2月22日、みちのくプロレス後楽園ホール大会に井上亘が参戦。 2005年 8月28日、みちのくプロレスニューワールド仙台大会に獣神サンダー・ライガーが参戦。 2006年 9月30日、みちのくプロレス新宿FACE大会にタイガーマスク(4代目)が参戦。 2007年 1月13日、みちのくプロレス矢巾町民総合体育館大会にタイガーマスク(4代目)が参戦。 3月26日、みちのくプロレス熊本興南会館に天山広吉が参戦。 6月14日、みちのくプロレス阿南市スポーツ総合センター サブアリーナ大会にタイガーマスク(4代目)が参戦。 2008年 6月20日、みちのくプロレス後楽園ホール大会にタイガーマスク(4代目)が参戦。 2009年 12月12日、みちのくプロレス後楽園ホール大会「宇宙大戦争」に獣神サンダー・ライガーが参戦。 2011年 12月14日、新日本プロレス後楽園ホール大会にザ・グレート・サスケが参戦。 2012年 6月24日、みちのくプロレス滝沢村大釜幼稚園体育館大会に獣神サンダー・ライガーが参戦。 2013年 11月4日、みちのくプロレス岩手県営体育館大会にタイガーマスク(4代目)が参戦。 2020年 1月4日、新日本プロレス東京ドーム大会にザ・グレート・サスケが参戦。 7月12日、新日本プロレス大阪城ホール大会からディック東郷が参戦。
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