大阪プロレスとは? わかりやすく解説

大阪プロレス

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/07/12 14:55 UTC 版)

大阪プロレス株式会社
Osaka Pro-Wrestling Co., Ltd.
種類 株式会社
本社所在地 日本
536-0014
大阪府大阪市城東区鴫野西2-19-8
設立 2001年4月24日
業種 サービス業
法人番号 1120001116567
事業内容 プロレス興行
関連企画の運営
代表者 代表取締役社長 大林賢将
資本金 4,554万円
関係する人物 スペル・デルフィン(創業者)
外部リンク https://www.osakaprowres.com/
特記事項:1999年3月4日、大阪プロレス有限会社を設立。
2001年4月24日、大阪プロレス株式会社を設立。
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大阪プロレス(おおさかプロレス)は、大阪を中心に活動しているプロレス団体

歴史

1999年3月4日みちのくプロレスを退団したスペル・デルフィン星川尚浩薬師寺正人瀬野優、レフェリーの松井幸則が設立。4月29日大阪府立門真スポーツセンターサブアリーナで旗揚げ戦を開催。

後述の常設会場を構えて大阪色を強く打ち出したり、えべっさんくいしんぼう仮面のような大阪名物キャラクターをモチーフにした覆面レスラーが多く楽しさを中心においたコメディ色の強い試合、ルチャリブレの要素を多く取り入れたスピーディーな試合を行っている。また、老若男女誰もが試合を楽しめるように凶器攻撃を禁止している。

ロゴマークはデルフィンがテレビ東京の番組「開運!なんでも鑑定団」に出演した際、司会の石坂浩二に直談判してデザインしてもらったものである。旗揚げ初期のマスクとコスチュームのデザインは主に中川カ〜ルが担当していた。

2003年、これまでファミリー層を中心とした客層を獲得していたが所属選手の大量離脱、フェスティバルゲートの倒産に見舞われた。また、かつて確執のあった、みちのくプロレスとの抗争を行なうなど正念場を迎えていた。

長年、デルフィンら正規軍とルード軍の抗争が売りでブラックバファローはルード軍のわずかな消滅時期を除きルードとして正規軍と対決してきた。

2006年6月、デルフィンが、みちのくプロレスからGAINA、レフェリーのテッド・タナベを移籍させたことで正規軍とルード軍からデルフィンを批判する意見が飛び交った。11月5日、GAINAはデルフィン派から離脱してルード軍「バッドフォース」を結成してルード軍「ベンダバル」との抗争が行われていた。

2007年4月、ベンダバルの解散により、正規軍とバッドフォースによる本来の善悪抗争が行われていた。5月、デルフィンが退団と同時に沖縄プロレスを設立。

2008年3月15日原田大輔ゼウスが正規軍を独立してユニット「BLOOD&GUTS」を結成。4月、バッドフォースが解散。

2010年9月4日空牙が正規軍を離脱してルード軍「JOKER」を結成したことで善悪抗争が行われていた。

2014年3月1日、後述の常設会場が閉鎖されることを発表。4月20日ナスキーホール梅田大会を最後に所属選手とスタッフの全員が退団[1]。また、今後は新体制によるプロレスプロモーションとして活動していく。

2021年10月18日、ゼウスが前代表の阪上雄司から株式の譲渡を受けてオーナー兼代表に就任してプロレス団体として再興することを発表[2]

2022年1月9日1月10日千日前道具屋筋商店街で開催されたイベント「新春道具市」でマットプロレスを行って再始動。3月6日アゼリア大正でプレ旗揚げ戦を開催。4月29日から5月1日、アゼリア大正で旗揚げ3連戦を開催[3]

2023年8月、クワイエット・ストーム TORUが正規軍を離脱して、そこに浅川紫悠も合流しルード軍「Rogue nation」を結成したことで善悪抗争が開始。

2025年5月6日5月7日EXPOアリーナMatsuriにて、コスメフェリーチェ株式会社presents『大阪プロレス祭り』 in 大阪・関西万博を開催。

タイトルホルダー

タイトル 保持者 歴代
大阪プロレス王座 TORU 第37代
大阪プロレスタッグ王座 浅川紫悠
ゴリアテ
第48代
大阪ライトヘビー級王座 大瀬良泰貴 第3代
大阪名物世界一王座 大坂丈一郎 第22代
トーナメント戦
タイトル 覇者 年代
大阪タッグフェスティバル タイガースマスク
佐野蒼嵐
2025年
大阪ライトヘビー級トーナメント SUZAKU 2025年
天王山 TORU 2024年

所属選手、レギュラー参戦選手

正規軍

Rogue nation

その他

スタッフ

レフェリー

リングアナウンサー

歴代常設会場

デルフィンアリーナ
2001年3月、フェスティバルゲートに開設。2007年7月31日、フェスティバルゲートの営業終了により閉鎖。
大阪ミナミ ムーブ・オン アリーナ(旧:デルフィンアリーナ道頓堀)
2007年9月8日、開設。2009年5月3日、旗揚げ10周年を機に名称を変更[4]2012年10月20日、閉鎖。
ナスキーホール梅田
2012年11月17日、プラザ梅田ビルに開設[5]2014年4月、観客動員数の伸び悩みや他団体の利用の減少により閉鎖[6]

主な歴代興行

SATURDAY NIGHT STORY
土曜日に開催している正規軍とルード軍の抗争試合などの連続ドラマ的要素などの試合が主軸となる。通常の試合が3試合、楽しい試合が2試合の構成が多い。
HOLIDAY PARADISE
日曜日と祝日に開催している楽しさを前面に押し出している。通常の試合が2試合、楽しい試合が3試合の構成が多い。

歴代タイトル

歴代所属選手

歴代スタッフ

  • 松井幸則(レフェリー)
  • テッド・タナベ(レフェリー)
  • 小山良(レフェリー)
  • 小田康弘(レフェリー)
  • 吉田つかさ(リングアナウンサー)

試合中継

放映中の番組
  • 大阪プロレス(GAORA
終了した番組

脚注

  1. ^ “大阪プロ"解散"へ…所属選手ゼロに”. デイリースポーツ. (2014年3月1日). オリジナルの2014年3月8日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20140308023805/https://www.daily.co.jp/newsflash/ring/2014/03/01/0006745340.shtml 2014年3月3日閲覧。 {{cite news}}: CS1メンテナンス: 先頭の0を省略したymd形式の日付 (カテゴリ)
  2. ^ “【大阪プロレス】ゼウスが選手兼オーナー社長に就任「必ずオンリーワン、日本一の団体を作り上げます」”. 東京スポーツ. (2021年10月18日). オリジナルの2021年10月18日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20211018075846/https://www.tokyo-sports.co.jp/prores/ajpw/3729388/ 2021年10月18日閲覧。 
  3. ^ "新生"大阪プロレス、ナニワの観光スポットで日本一のエンターテインメントへ向けた第一歩【週刊プロレス】 BBM Sports 2022年1月12日
  4. ^ “10年パーティーで本拠地の改名発表 大プロ”. 大阪日日新聞. (2009年5月4日). オリジナルの2009年5月21日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20090521234002/http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/090504/20090504021.html 2009年5月5日閲覧。  {{cite news}}: CS1メンテナンス: 先頭の0を省略したymd形式の日付 (カテゴリ)
  5. ^ “大阪プロレス梅田に新拠点 あすこけら落とし”. 大阪日日新聞. (2012年11月16日). オリジナルの2012年11月18日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20121118031727/http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/121116/20121116021.html 2012年11月22日閲覧。 
  6. ^ “大阪プロレス本拠地、4月で閉鎖”. デイリースポーツ. (2014年1月25日). オリジナルの2014年2月2日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20140202173120/https://www.daily.co.jp/newsflash/ring/2014/01/25/0006662500.shtml 2014年1月30日閲覧。  {{cite news}}: CS1メンテナンス: 先頭の0を省略したymd形式の日付 (カテゴリ)

外部リンク


大阪プロレス

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 08:29 UTC 版)

DRAGON GATE」の記事における「大阪プロレス」の解説

同じ関西地盤を持つ大阪プロレスとは闘龍門JAPAN時代から犬猿の仲と言われており、初め接点持ったのは2004年の大阪プロレス主催SUPER J-CUPだったがギリギリまで参戦渋っていた。元所属選手マグニチュード岸和田Gamma参戦していることから繋がりを持つ可能性は低いと思われていたがスペル・デルフィンが大阪プロレスから離れたことにより状況一変VKFプロレスでシーサーズが大阪プロレスの選手対戦2008年11月にはストーカー市川がデルフィン・アリーナに乗り込み闘龍門出身松山勘十郎タイトルマッチ行ったその後望月フジイ参戦して秀吉正体とされる人物過去に旧闘龍門JAPAN参戦していたことを明かしたまた、CIMAレフェリーテッド・タナベ追悼興行単発参戦した2010年CIMA週刊プロレスコラム上で大阪プロレスを批判する内容記載したことからDRAGON GATE大阪大会タイガースマスクブラックバファロー乱入し抗争勃発して2010年4月18日スペル・シーサータイガースマスク敗北してオープン・ザ・ブレイブゲート王座流出6月18日に両団体エースであるCIMAビリーケン・キッドシングルマッチを含む全面対抗戦開催決定6月にはスタジオマッチにタイガースマスクブラックバファローThe Bodyguard新生LOV乱入してその後は両プロレス団体王座が、それぞれの場所に戻り抗争終了している。2012年9月ウィンドウズMG助っ人として政宗参戦しドラゴン・キッドの持つオープン・ザ・ブレイブゲート王座挑戦したその後2014年4月29日興行より、大阪プロレスが新体制移行したため、プロレス団体同士としては表立った交流行わないものの、岸和田Gamma元所属選手中心に所属選手派遣交流が行われている。

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「大阪プロレス」を含む「DRAGON GATE」の記事については、「DRAGON GATE」の概要を参照ください。

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