格闘探偵団バトラーツ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/08/23 09:39 UTC 版)
格闘探偵団バトラーツ(かくとうたんていだんバトラーツ)は、かつて存在した日本のプロレス団体。
歴史
1995年11月19日、プロフェッショナルレスリング藤原組でスポンサーから所属選手の大幅なリストラを提示されて反発した藤原喜明を除く所属選手全員が退団。12月、石川雄規を中心に設立。団体名はプロレスプロモーターの荒井英夫が命名。元所属選手全員はあくまでスポンサーに対して反発したのみで藤原との確執は無い。
1996年4月6日、JCTVスタジオで旗揚げ記念前祝いスペシャルイベント「GAORAプレゼンツ JCTVスタジオマッチ」を開催。試合開始前に藤原が登場して「わが息子達を宜しくお願いします」と挨拶が行われた。4月13日、川東タウンセンターマロニエで旗揚げ戦を開催。
旗揚げ当初はスター選手が不在と言われながらも、その後は所属選手の個性が最大限に発揮される姿勢が支持を得てアレクサンダー大塚がPRIDEで活躍したこともあって知名度が高まる。
2001年9月、プロレスリングZERO-ONEで開催される「火祭り」に協賛して所属選手を送りリーグ戦の一部をバトラーツの興行で実施することを発表したが石川雄規が尊敬しているアントニオ猪木の助言でキャンセル。PRIDEと関係していた猪木とPRIDE参戦選手と無断で交渉を行ったZERO-ONE代表の橋本真也の対立が背景にあるとされている。バトラーツ公式サイトで発表時は「ビッグマッチに向けて猪木軍入りして異種格闘技戦の開催を計画している。猪木と橋本の間にトラブルであり両者間の和解が無い場合どちらかを選択する必要があり今回は猪木軍を選んだ」と理由を述べた。しかし猪木からの利益を最優先するため発表済みカードを消滅させた点などからファンの批判や所属選手の離反を招くことになる。また「バトラーツのリングは火祭りのリーグ戦開催以前から火祭りだったと自負している」と無意味な開き直りもバトラーツ公式サイトに記載したため批判はより強まった。猪木は「迷惑な話だ」と自身は関わっていない姿勢を見せた。三沢光晴は「筋が通ってない」、「自分の尻も拭けないのか」などとバトラーツの姿勢を批判している。10月26日、活動停止することを発表。
2008年、バトラーツの女子部「女王バチ」を発足。
2010年8月3日、唯一の所属女子選手の及川千尋が引退して以降は目立った活動を行っておらず自然消滅状態になる。12月26日、主戦場にしていた桂スタジオの閉鎖により来年春に解散することを表明。12月28日、バトラーツ公式サイトで解散することを発表。
ルール
- フリーダウン制、場外戦なし、3カウントフォールなし。
- 決着はKO、ギブアップ、タップアウト、レフェリーストップ。
最終所属選手
歴代所属選手
- 船木勝一(現:FUNAKI)
- 池田大輔
- 土方隆司
- 田中稔
- 日高郁人
- 小野武志
- モハメド・ヨネ
- アレクサンダー大塚
- junji.com(旧:マッハ純二、現:田中純二)
- アーバン・ケン(現:ケニー中村)
- 岡本魂(旧:岡本衛)
- 大場貴弘(旧:アングロサクソン大場)
- 臼田勝美
- 原学
- 吉川祐太
- 及川千尋
- 矢野啓太
歴代スタッフ
エピソード
旗揚げ初期の頃に事務所に迷いネコが住み着いた。この迷いネコを「ガッチリ」と命名してバトラーツが飼いマスコットキャラクターにしてグッズを販売していた。なお当時は知名度が低かった所属選手のグッズよりもネコのプリントしたTシャツが売れていたという。ネコは1999年の事務所移転の際に失踪している[1]。
脚注
- ^ ベースボールマガジン社「週刊プロレス」2011年11月16日号「解散直前バトラーツ プレイバック特集」より
格闘探偵団バトラーツ
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「田中稔 (プロレスラー)」の記事における「格闘探偵団バトラーツ」の解説
1995年に格闘探偵団バトラーツの設立に参加し所属する。1999年4月の新日本プロレス東京ドーム大会に参戦、同年のBEST OF THE SUPER Jr.にも出場する。 2000年6月に金本浩二とジュニア・スターズを結成しIWGPジュニアタッグ王座を獲得。同年10月にバトラーツを退団、高岩竜一のIWGPジュニアヘビー級王座に挑戦し勝利する。第39代IWGPジュニアヘビー級王座初戴冠となった。
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格闘探偵団バトラーツ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/01 00:54 UTC 版)
2008年6月1日、東京・北千住シアター1010ミニシアターでの矢野啓太戦でプロレスデビュー(バトラーツルール)。8分57秒、チェーンレスリングに翻弄されたのち、足取りゆりかもめに沈み悔し涙を流した。この時30歳。石川雄規からは「お前は遅れてきたUになれ」と声をかけられ、以後バトラーツの準レギュラー選手となる。 総合のリングに帰ると、悔しさをぶつけるがごとくライト級で一本勝ちを量産。のちの「ZST.40」では本戦デビューを果たした。 2009年4月12日、東京・シアター1010ミニシアター大会における石川雄規&臼田勝美組戦(パートナーはスーパータイガー)でメインイベント初登場。以降、2011年11月5日、新宿フェイスでのバトラーツ解散興行まで総合格闘技とプロレスを並行して出場する。 バトラーツ解散興行では田中稔&日高郁人組と対戦した(パートナーは臼田勝美)。解散とともにプロレス活動を休止。「目標と行き先を無くしてしまった」ことが理由だという。 以降、リバーサルジム新宿 Me,We所属となり、総合格闘技へ専念へ。
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