大阪ブレイビーハニーズ時代とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > 大阪ブレイビーハニーズ時代の意味・解説 

大阪ブレイビーハニーズ時代

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/02 16:39 UTC 版)

小西美加」の記事における「大阪ブレイビーハニーズ時代」の解説

小西より年上選手全てリーグ離れリーグ最年長選手として迎えた2012年は、前年まで常時レギュラー出場していた選手小西小久保志乃2人だけというチーム事情の中で大黒柱として期待された。序盤戦負けが込むチームの中で自身プロではこれまで例がないほどの不調に苦しみ4月8日京都アストドリームス戦で4回途中8失点KOされた際には「どん底落ちた」とまで発言している。しかし次の登板となった4月14日古巣兵庫戦でチーム勝利となる完投勝利を挙げる次第復調し第5回IBAF女子ワールドカップ日本代表にも2大会ぶりに選ばれ、2勝を挙げて日本の3大会連続優勝貢献する。なお小西過去出場したワールドカップ、および女子プロ野球では一貫して背番号18付けてきたが、この大会で里綾実前回大会続いて18付けたため、兄の正則日本代表付けた背番号20プレーしたリーグ戦では前期序盤の不振響いて5勝5敗の五分数字だったが、後期は6勝3敗の数字残して後期優勝貢献。ただし過去2年間3割を大きく超えていた打率規定打席到達者では下から2番目となる.231に終わった11月5日行われた京都との総合優勝決定戦では5失点ながら完投、さらにホームラン打った決勝点となる押し出し死球を受けるなど投打ともに活躍見せたこの年MVP最多勝最優秀防御率加えてこの年から表彰となった最多イニングタイトル獲得小西を含む5人が並んだ本塁打王も、優勝決定戦でのホームラン評価され単独受賞となった。 なおこの年GPBL観客数前年の約3割に激減したことから(ただしこの年から無料招待客を減らしたという事情もある)、スポンサー務めわかさ生活社長角谷建耀知この年限りでのリーグ打ち切りをいったん決断するが、年間40試合、しかも7イニング制のGPBLにおいてNPB規定投球回並みイニング投げこの年は140回2/3)、優勝決定戦でも自らホームラン打った小西の姿を見て翻意したとコンベンションの場で述べ、それを聞いた小西泣きながら挨拶するというシーンがあった。

※この「大阪ブレイビーハニーズ時代」の解説は、「小西美加」の解説の一部です。
「大阪ブレイビーハニーズ時代」を含む「小西美加」の記事については、「小西美加」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「大阪ブレイビーハニーズ時代」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「大阪ブレイビーハニーズ時代」の関連用語

大阪ブレイビーハニーズ時代のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



大阪ブレイビーハニーズ時代のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの小西美加 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS