大阪ブレイビーハニーズ時代
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「小西美加」の記事における「大阪ブレイビーハニーズ時代」の解説
小西より年上の選手が全てリーグを離れ、リーグ最年長選手として迎えた2012年は、前年まで常時レギュラーで出場していた選手は小西と小久保志乃の2人だけというチーム事情の中で大黒柱として期待された。序盤戦は負けが込むチームの中で自身もプロではこれまで例がないほどの不調に苦しみ、4月8日の京都アストドリームス戦で4回途中8失点KOされた際には「どん底に落ちた」とまで発言している。しかし次の登板となった4月14日の古巣兵庫戦でチーム初勝利となる完投勝利を挙げると次第に復調し、第5回IBAF女子ワールドカップ日本代表にも2大会ぶりに選ばれ、2勝を挙げて日本の3大会連続優勝に貢献する。なお小西は過去に出場したワールドカップ、および女子プロ野球では一貫して背番号18を付けてきたが、この大会では里綾実が前回大会に続いて18を付けたため、兄の正則も日本代表で付けた背番号20でプレーした。 リーグ戦では前期は序盤の不振が響いて5勝5敗の五分の数字だったが、後期は6勝3敗の数字を残して後期優勝に貢献。ただし過去2年間3割を大きく超えていた打率は規定打席到達者では下から2番目となる.231に終わった。11月5日に行われた京都との総合優勝決定戦では5失点ながら完投、さらにホームランを打ったり決勝点となる押し出し死球を受けるなど投打ともに活躍を見せた。この年はMVP、最多勝、最優秀防御率に加えてこの年から表彰となった最多イニングのタイトルを獲得。小西を含む5人が並んだ本塁打王も、優勝決定戦でのホームランが評価されて単独の受賞となった。 なおこの年GPBLは観客数が前年の約3割に激減したことから(ただしこの年から無料招待客を減らしたという事情もある)、スポンサーを務めるわかさ生活社長の角谷建耀知はこの年限りでのリーグ打ち切りをいったん決断するが、年間40試合、しかも7イニング制のGPBLにおいてNPBの規定投球回並みのイニングを投げ(この年は140回2/3)、優勝決定戦でも自らホームランを打った小西の姿を見て翻意したとコンベンションの場で述べ、それを聞いた小西が泣きながら挨拶するというシーンがあった。
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