大阪フィルハーモニー交響楽団音楽監督就任以降
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2001年に亡くなった朝比奈隆の後任として、2003年4月から大阪フィルハーモニー交響楽団の音楽監督に就任。なお、大植はバトンタッチといった言葉を好まず、いまだ生きている朝比奈隆の魂ともども音楽を作ることを強調している。就任披露定期演奏会として、2003年5月9日と5月10日にザ・シンフォニーホールでマーラーの交響曲第二番「復活」を指揮、2005年3月20日サントリーホールでの就任後初の東京定期演奏会では、同じくマーラーの交響曲第六番「悲劇的」を指揮した。以後、大阪フィルハーモニー交響楽団の定期演奏会を中心に、近代曲やオペラなども取上げると同時に、ベートーヴェンやブルックナーなどの大阪フィルハーモニー交響楽団が従来より得意としてきたレパートリーもこなしている。なお、大植は朝比奈と直接対面することはなかったが、1973年に朝比奈が指揮した近衛秀麿版のベートーヴェン交響曲第3番に衝撃を受けている。また大植は1995年、1996年に阪神・淡路大震災チャリティーのため大阪フィルハーモニー交響楽団を指揮しており、のちに朝比奈から「今後共機会あればよろしくたのみます」としたためられた手紙を受け取っている。 2005年7月には東洋人指揮者として初めてワーグナー作品の上演で知られるバイロイト音楽祭の本公演に出演、「トリスタンとイゾルデ」を指揮し、100年を超える同音楽祭の歴史に足跡を残した。同楽劇は新演出がさんざんに酷評され、指揮も評判芳しからず結果的に1年限りの登板に止まった。 スペインのカタルーニャ州立バルセロナ交響楽団常任指揮者兼アーティスティック・アドヴァイザーに2006/2007年シーズンから就任していたが、2009/2010年シーズンを以て終了した。他にも全米の主要オーケストラをはじめ、世界各地で客演を行っている。日本のオーケストラでは、過去にNHK交響楽団、新日本フィルハーモニー交響楽団、読売日本交響楽団、広島交響楽団、東京フィルハーモニー交響楽団、東京交響楽団、群馬交響楽団、オーケストラ・アンサンブル金沢等を指揮したことがある。東京フィルハーモニー交響楽団では、2014年3月の「創設100周年」記念ワールドツアーを率いている(後述)。2016年に日本フィルハーモニー交響楽団を指揮した際には、初共演にして「四季 (ヴィヴァルディ)」をチェンバロで弾き振りした。 そのエネルギッシュな指揮姿で知られ、アメリカ時代から「エイジ・エクスプレス」と称する地域での音楽普及活動に力を入れており、大阪でも活動を続けている。大阪近鉄バファローズ、阪神タイガースの試合で始球式も行ったことがある。「楽しくなければ音楽ではない」と言い、サイン会などで揮毫する際は「心音」という言葉を好む。 2006年より、大阪クラシックをプロデュース。同イベントは年々規模が拡大され9月初旬の大阪市の風物となりつつある。2009年には入場者が5万人を突破した。 2012年3月をもって大阪フィルハーモニー交響楽団音楽監督を退任。現在は同楽団桂冠指揮者。 2014年には東京フィルハーモニー交響楽団創立100周年記念ワールドツアーを指揮(ニューヨーク、マドリッド、パリ、ロンドン、シンガポール、バンコク。2011年に予定されていたが、東日本大震災のため延期されていた)。特にニューヨークではその熱演に客が総立ちになり、感極まった大植が指揮棒を客席に投げ込む一幕もあった。
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