大阪プロレスを旗揚げ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/10 07:29 UTC 版)
「スペル・デルフィン」の記事における「大阪プロレスを旗揚げ」の解説
海援隊☆DXがWWF(現:WWE)参加のため離脱。デルフィンは今後の団体運営に対する考え方で、サスケと対立するようになる。 1999年、薬師寺正人、星川尚浩、瀬野優(大王QUALLT)、練習生の木川勇人(現:HUB)、レフェリー松井幸則らとともにみちのくプロレスを退団。大阪プロレスを旗揚げする。以降サスケとは絶縁状態が続いた。 2003年、サスケが議員になったことにより、みちのくプロレス社長となった新崎人生のブッキングによって、みちのく10周年記念大会にてサスケvsデルフィン戦が実現し、デルフィンが勝利する。また、この頃に大阪プロレスの事務局長も務めていた元タレントの妻と二度目の離婚(初婚は一般女性)。 えべっさん(現・菊タロー)の紹介で、2003年12月24日タレントの早坂好恵との再婚を果たした。大阪プロレス名物6人タッグでは、えべっさんから「誰が嫁さん紹介したんや〜!」としばしネタにされ観客の笑いを誘い、会場は微笑ましい空気に包まれた。 大阪プロレスでは2006年2月26日、ギミック上の弟であるスーパードルフィンをデルフィンスペシャル0号で破り、大阪プロレス王者となった。4月16日松下IMPホールでは、新崎人生と初のシングルマッチを行い勝利。5月21日、大阪プロレスIMPホールにて南野たけしと大阪プロレス王者&東北ジュニアヘビー級ダブルタイトルマッチを行い、ジャーマン・スープレックス・ホールドで勝利し二冠王になる。6月10日には、7年半ぶりにみちのくプロレスへ参戦し、気仙沼二郎に勝利して初防衛に成功した。 8月26日にビリーケン・キッドに敗れ、大阪プロレス王座を失う。10月8日にはザ・グレート・サスケとの防衛戦でジャーマン・スープレックスで敗れ、東北ジュニアヘビー級王座も失った。 2007年2月5日、浪人中の中村紀洋が堺浜野球場で行なった架空キャンプに、球拾いなどの手伝いで参加。
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