UWF
UWF
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/07/03 15:23 UTC 版)
巨大ネットワークTBSのゴールデンタイムでの放映チャンスを失ったワットは、1986年3月に団体名をUWF(Universal Wrestling Federation)と改称し、WWFやNWAに対抗すべく全米進出を開始する。この団体には、フリッツ・フォン・エリックが主宰するWCCWの共同プロモーターであったケン・マンテルをはじめ、多くの新しいレスラー(ほとんどがWCCW出身)が参画した。腹心ジム・ロスの手腕により、太平洋岸のロサンゼルスから東部のフィラデルフィアまでマーケット規模の拡大に成功し、MSWA新設以来セミリタイア状態だったワットも正式に引退してプロモート業に注力。4月にはスーパードームでNWAのジム・クロケット・プロモーションズとビッグイベントを共同開催した。スティングなどのスター候補も生まれ、UWFは一躍アメリカ・マット界の台風の目となる。 しかし、テリトリーを大幅に広げたことによる移動費等のコスト増に反して、全米サーキットは収益の上がらない状態が続いた。さらに、OPECの石油生産量拡大に伴いアメリカ南部各州の原油産業が停滞、ミッドサウス地区の経済も破綻し、1987年には深刻な不況に直面した。相次ぐ銀行の倒産で融資も絶たれ、本拠地オクラホマでの観客動員も落ち込み、UWFは一転して危機的状況に追い込まれる。莫大な損失を被ったワットは1987年4月9日、UWFを400万ドルでクロケット・ジュニアに売却、プロレス界から撤退することになった(当初、ワットはWWFに売却を持ちかけたが、UWFが末期状態であることを見越したマクマホンに拒絶され、内部事情を知らないクロケットがワットに煽られる形で買収に応じたという)。
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