永野一男とは? わかりやすく解説

永野一男

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/12 13:28 UTC 版)

ながの かずお
永野 一男
生誕 1952年8月1日
日本 岐阜県恵那市
死没 (1985-06-18) 1985年6月18日(32歳没)
日本 大阪府大阪市
死因 他殺
国籍 日本
職業 実業家
団体 豊田商事
肩書き 豊田商事会長
配偶者 なし
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永野 一男(ながの かずお、1952年昭和27年〉8月1日[1] - 1985年〈昭和60年〉6月18日[1])は、日本詐欺師

ペーパー商法を行った豊田商事の創業者として知られる。

来歴

岐阜県恵那市に生まれる[1]。15歳のとき、島根県浜田市国分町の叔父宅に預けられ、現地中学校を卒業。集団就職で日本電装(現・デンソー)に入社したものの、2年で退職。その後、転職を繰り返す。商品取引業者の岡地に入社。岡地では高い営業成績を上げていたが、顧客の金を勝手に小豆市場につぎ込んで大穴を開けたことが発覚し解雇される。その後も職業をめまぐるしく変える。1976年3月30日、大垣競輪場トイレでスリを働いて逮捕されている。

1978年7月8日、営業目的を貴金属の販売、有価証券の保有利用等と定め、本店を東京都中央区銀座に置き豊田商事を設立。永野が「豊田」を会社名に入れた理由は、中学校を卒業して最初に就職した先がトヨタグループの自動車部品メーカーである日本電装であったことと、有名なトヨタグループの関連会社だと錯誤させるためであった。

豊田商事の現物まがい商法で数千億円もの金を集めるのに成功し、ランボルギーニ・カウンタックなど高級乗用車を購入。さらには自家用のクルーザーまで保有するなど派手好みではあったが、一方で「顔を知られると殺される」とマスコミを嫌い、社員ならびに役員にも顔をほとんど見せなかった。

1985年6月18日午後4時30分過ぎ、大阪市北区天神橋の自室マンションの玄関前に「今日逮捕」との情報を聞きつけてマスコミ取材班が集まる中、被害者の元上司に当たる自称右翼の男二人が窓ガラスを破って侵入し、永野の頭部など全身13箇所を旧軍の銃剣で刺した。永野は直ちに病院へ運ばれたが、午後5時15分出血多量のため死亡。32歳没。永野が殺されたときの所持金はわずか711円だった[2]。なお、「女房に累が及ぶ」との理由から結婚せず、生涯を未婚で通した。事件後カウンタックは差押され、管財人になった中坊公平らによって売却されることになったが、スーパーカーブームが過ぎ去っていたためにあまり高く売れなかった。

関連項目

脚注

  1. ^ a b c "永野 一男". 20世紀日本人名事典. コトバンクより2022年1月23日閲覧
  2. ^ 被害総額2000億円!豊田商事「会長刺殺事件」の凄惨な結末(週刊現代) @gendai_biz”. 現代ビジネス. 2020年9月20日閲覧。




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