CMLL
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CMLL(Consejo Mundial de Lucha Libre)は、メキシコのプロレス団体。
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p ベースボールマガジン社『週刊プロレス』2016年2月10日号 pp56 - 57
- ^ ベースボールマガジン社『週刊プロレス』2021年11月10日号 p94
- ^ ベースボールマガジン社『週刊プロレス』2016年2月10日号 pp58 - 61
- ^ Johnson, Mike (2016年8月10日). “ROH-CMLL update, new name for November UK tour and more news”. Pro Wrestling Insider. 2016年8月10日閲覧。
- ^ a b c ベースボールマガジン社『週刊プロレス』2016年2月10日号 p67
CMLL
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/08 05:27 UTC 版)
2004年5月からメキシコに渡り、CMLLにルードとして参戦。 アレナコリセオ大会のセミファイナルでデビュー。アレナメヒコではメインイベントでデビュー。メキシコ入り後はドクトル・ワグナー・ジュニア、ブラック・タイガー(現:シルバー・キング)らと組む。同年12月5日、アレナコリセオ大会での金網髪切り戦でネグロ・カサスに敗れ丸坊主になる。 2005年2月、日本武道館で行われたジャイアント馬場7回忌追善興行に出場するため再び全日本プロレスに参戦。嵐と組んで荒谷望誉、石狩太一と対戦。7分49秒、嵐が石狩をパワーボムで下し勝利した。 その後、新日本プロレスからメキシコ入りした田口隆祐とのタッグ、ツナミ・デ・オリエンテとして活躍。同年9月、新日本プロレスの棚橋弘至、中邑真輔とのトリオでCMLLの年間最大のビッグイベントであるアニベルサリオ大会に出場を果たした。 その後、闘龍門の大原はじめ、新日本プロレスからメキシコに遠征していた後藤洋央紀も加えたトリオでお揃いの袴スタイルのコスチュームで活躍。 2008年6月、アレナメヒコでの試合中に右鎖骨骨折の大怪我を負い欠場するも11月に復帰。 2009年に入り、新日本プロレスにミスティコらと共に参戦。同時にCMLLマットでは新日本プロレスの裕次郎、内藤哲也と共に日本人チーム、ラ・オーラ・アマリジャ(La Ola Amarilla)を結成、ラ・オーラ・アマリジャのリーダー格として活躍する。同年9月、獣神サンダー・ライガーも含めた4人でCMLL76周年アニベルサリオ大会のセミファイナルで勝利を収めた。アニベルサリオ大会後、CMLLが毎年開催する勝利者がエストレージャに昇格するトルネオ・ラ・グラン・アルテルナティーバ2009にて勝利を収めエストレージャ入りを果たした。その後11月15日のアレナメヒコ大会においてマキシモとのカベジェラ戦を制し、念願のカベジェラ戦初勝利を収めた。 2010年2月、かつての全日本プロレス時代の後輩にあたる新日本プロレスのタイチがメキシコ遠征に出発。CMLLマットでタッグ結成を果たした。そして5月にはタイチ、同じく新日本の棚橋も加えたトリオで日本人初のCMLL世界6人タッグ王座を奪取した。9月、アレナメヒコにてメキシコ独立200周年を記念して行われたラ・コパ・ビセンテナリオ(200周年記念トーナメント)に獣神サンダー・ライガーと組んで出場するも、ミステル・ニエブラ&ボラドール・ジュニア組に敗れた。 2011年1月、2日間に渡り後楽園ホールで行われた新日本プロレス&CMLLのコラボ大会にCMLLの9選手&リングアナウンサーが来日。自身もその中の1選手として参戦。初日の大会ではアトランティスと組んでジャイアント・バーナード&カール・アンダーソンのバッド・インテンションズが持つIWGPタッグ選手権に挑戦し、敗れはしたものの白熱の好勝負を展開した。翌2日目は高橋裕二郎&内藤哲也のNO LIMITと久々にチームを結成し、ラ・ソンブラ&マスカラ・ドラダ&ラ・マスカラの持つCMLL世界6人タッグ王座に挑戦した。7月12日、ハリスコ州グアダラハラ大会でガジョを破り、日本人初のCMLLオクシデンテ・ライトヘビー級王座を奪取。9月18日に前王者ガジョの挑戦を退け初防衛に成功した。 2012年1月、新日本プロレスが開催したNJPW Presents CMLL FANTASTICAMANIA2012で1年振りに日本マット凱旋を果たした。2月、新たなパートナーとして謎のマスクマン、ナマハゲ(Namajague)がCMLLマットに登場し、ラ・フィエブレ・アマリージャ(La Fiebre Amarilla)を結成した。5月1日、CMLLのアレナコリセオ・デ・グアダラハラ大会にてバリエンテを相手にCMLLオクシデンテ・ライトヘビ―級王座の防衛戦を行い2度目の防衛を果たす。しかし同年7月10日、サグラドに敗れオクシデンテ王座3度目の防衛に失敗し、ほぼ1年守り続けたベルトを失った。9月7日、アレナメヒコで行われたメキシコ対日本の4対4イリミネーションマッチに棚橋、タイチ、ナマハゲと組んで出場し、日本軍が勝利した。その2日後の9月9日、アレナメヒコにてナマハゲとのタッグでCMLLアレナコリセオ・タッグ王座に挑戦するが敗れた。9月14日、アレナメヒコで行われたCMLL79周年アニベルサリオ大会にタイチ、ナマハゲとのトリオで出場を果たした。 2013年1月、新日本プロレスのNJPW Presents CMLL FANTASTICAMANIA2013に参戦し、安定した実力を発揮した。3月3日、アレナコリセオで行われたCMLLアレナコリセオタッグ選手権にナマハゲと組んで再挑戦し、ストゥーカ・ジュニア&フエゴ組を破り、新王者組となった。3月15日、アレナメヒコで開催されたCMLL創立80周年最初のビッグマッチ、オメナヘ・ア・ドス・レジェンダスのメインイベントで行われたマスカラ&カベジェラ対マスカラ&カベジェラ戦にナマハゲと組んで出場するが、対戦相手のストゥーカ・ジュニア&レイ・コメタ組に敗れ、Okumuraは7年ぶりに丸坊主になった(ナマハゲはマスクを取られた)。6月30日、アレナメヒコにてCMLLアレナコリセオタッグ選手権の初防衛戦が行われ、ゲレーロ・マヤ・ジュニア&デルタを破り初防衛に成功した。8月30日、アレナメヒコで行われたチャンピオンのみが参加するトーナメント、カンペオナート・ウニベルサル2013のBブロックに出場し、棚橋との日本人対決が組まれるがダルマ式ジャーマンで敗れた。9月13日、アレナメヒコで行われたCMLL創立80周年記念アニベルサリオ大会に石井智宏、ナマハゲとのトリオで出場を果たした。11月3日、アレナコリセオにてCMLLアレナコリセオタッグ選手権が行われ、ゲレーロ・マヤ・ジュニア&デルタの再挑戦を受けるが敗れ2度目の防衛に失敗。Okumuraとナマハゲはベルトを明け渡した。 2014年1月、NJPW Presents CMLL FANTASTICAMANIA2014に参戦した。1月31日に行われたアレナメヒコ金曜定期戦にてOkumuraの新パートナーとしてカマイタチが初登場した。6月、CMLLデビューから10周年を向えた。CMLLの長い歴史の中で10年間所属選手として活躍した唯一の日本人選手として現地で取り上げられた。7月13日、アレナメヒコにてカマイタチと組んでゲレーロ・マヤ・ジュニア&デルタの持つCMLLアレナコリセオタッグ選手権に挑戦するが敗れベルト奪還に失敗した。 2015年1月、新日本プロレスのCMLLファンタスティカマニア2015に参戦し、1月13日地元大阪で行われた開幕戦にてデビュー20周年&CMLL10周年アニバーサリーマッチが行われ、アンヘル・デ・オロとのマッチ・レランパゴ10分1本勝負を行い時間切れ引き分けとなった。1月17日の新木場大会にてアンヘル・デ・オロが保持するCMLL世界ライトヘビー級王座に挑戦するが惜敗した。6月、日本テレビのネプ&イモトの世界番付でメキシコで活躍する日本人プロレスラーとしてカマイタチとともに照英の取材を受ける。照英はカマイタチのマスクをかぶって試合を観戦した。 2016年1月、新日本プロレスのCMLLファンタスティカマニア2016に参戦し、1月23日に行われた後楽園ホール大会にてボビー・スイーとのタッグでゲレーロ・マヤ・ジュニア&テ・パンテルの持つアレナコリセオ・タッグ王座に挑戦するが、ボビー・スイーがゲレーロ・マヤ・ジュニアに敗れ、王座奪取はならなかった。3月18日、アレナメヒコで行われたビッグマッチ、オメナヘ・ア・ドス・レジェンダスでメヒコ対ハポンの8人タッグマッチが行われ、この試合にOkumuraも出場した。試合はメヒコ組が勝利した。7月1日、アレナメヒコでビッグマッチ´´グランプリ2016メキシコ対多国籍軍´´が行われ、Okumuraも出場を果たした。10月29日、ROHのボルチモア大会で行われたROH世界6人タッグ王座決定トーナメントにウルティモ・ゲレーロ&エチセロとのトリオ、Team CMLLで出場し、Team CMLLは1回戦でザ・アディクション&カマイタチ組を破るも、準決勝でザ・キングダム組に敗れた。 2017年1月、新日本プロレスのCMLLファンタスティカマニア2017に参戦し、1月21日の後楽園ホール大会ではストゥーカ・ジュニアとシングルマッチを行った。1月、テレビ東京の未来世紀ジパング番外編「メキシコで人気沸騰の日本人」として取り上げられた。2月、頚椎負傷で出場予定だった2月24日のアレナメヒコ大会を欠場した。4月、頚椎負傷により欠場を続けていたが、日本で頚椎脱臼骨折の手術を行った。5月、手術が成功し再びメキシコへ。11月24日のアレナメヒコ大会で9ヶ月振りに電撃復帰を果たした。12月、CMLLの記者会見でアメリカ人レスラーのサム・アドニス、ニュージーランド人レスラーのジョニー・アイドルとの外国人トリオ結成を発表した。 2018年1月、新日本プロレスのCMLLファンタスティカマニア2018に参戦し、怪我からの復活をアピールした。同年2月、新日本プロレスの川人拓来がカワトサンのリングネームでCMLLデビューし、Okumuraとのタッグを結成した。8月27日にフジテレビの世界の村のどエライさんでメキシコで有名な日本人3位、9月8日にテレビ朝日の陸海空 地球征服するなんてではメキシコで有名な日本人の8位に選ばれた。 2018年12月16日、コスタリカの首都サンホセでCWE世界王座を獲得した。 2019年1月、新日本プロレスのCMLLファンタスティカマニア2019に参戦し、最終戦の後楽園ホール大会ではアトランティス・ジュニアとシングルマッチを行なった。3月2日のアレナコリセオ大会を最後に欠場し、虫垂炎の手術を行なった。 2019年4月、地元大阪府池田市のスポーツ親善大使に就任。 2019年6月21日、スペインのビトリア・ガステイス大会で虫垂炎から復帰を果たした。7月5日のアレナメヒコ大会でCMLLに復帰した。 2020年1月、新日本プロレスのCMLLファンタスティカマニア2020に参戦し、開幕戦の地元・大阪大会のメインエベントでOkumuraデビュー25周年記念試合の6人タッグマッチが行われ、最後はOkumuraがストゥーカ・ジュニアから勝利を飾った。1月19日の後楽園ホール大会でストゥーカ・ジュニアの持つNWA世界ヒストリック・ライトヘビー級王座に挑戦するも王者が防衛を果たした。 2020年10月、バンジェリス&ダーク・マジックとCMLLの新ユニット、Los Embajadores del Mal(ロス・エンバハドーレス・デル・マル)を結成した。
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CMLL
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2005年7月14日、「プラタ2号(Plata II)」のリングネームでプロレスデビュー。 2007年、「メタリック(Metalik)」に改名し、CMLLに拠点を移す。 2008年4月13日、オクシデンテウェルター級王座を保持するプレデターと対戦。この試合に勝利を収め、自身初となるタイトルを獲得した。7月18日に開催されたトルネオ・グラン・アルタナティバにドス・カラス・ジュニアとのタッグで初出場を果たす。決勝戦まで進出するも、ウルティモ・ゲレーロ&ドラゴン・ロホ・ジュニア組に敗北を喫し、準優勝に終わった。11月、現在のリングネーム「マスカラ・ドラダ(Máscara Dorada)」に改名。7日に開催されたSuper Viernesにて、ラ・ソンブラ、ラ・マスカラと組んで、ロス・イホス・デル・アベルノ(アベルノ&メフィスト&エフェスト組)と対戦し、ドラダとしてのデビュー戦を勝利で飾った。 2009年4月7日、CMLL世界スーパーライト級王座を保持するロッキー・ロメロと対戦。勝利を収め、同王座を獲得した。 2010年5月8日、新日本プロレスが主催するSUPER J TAG TOURNAMENTにバリエンテと組んで出場。一回戦でApollo 55(田口隆祐&プリンス・デヴィット組)と対戦するも、試合は自身が田口にピンフォール負けを喫し、予選落ちとなった。9月7日、ネグロ・カサスが保持するCMLL世界ウェルター級王座に挑戦。これに勝利し、第25代王者に輝いた。 2011年1月4日、レッスルキングダムVにソンブラと組んで出場。獣神サンダー・ライガー&エクトール・ガルサ組と対戦し、勝利。同月22日、CMLLと新日本の合同興行、CMLL FANTASTICA MANIAに参戦。自身が保持するCMLL世界ウェルター級王座の防衛戦として田口と対戦したが、敗北を喫して王座から陥落した。同年5月、新日本が主催するBEST OF THE SUPER Jr.に初出場。予選落ちとなってしまうが、公式戦で田口と再戦し、勝利を収めたことから、6月18日、DOMINION6.18にて、田口が保持するウェルター級王座に挑戦。ピンフォール勝ちを収め、同王座に返り咲いた。 その後、2012年、2013年、2014年と1月に開催されるCMLL FANTASTICA MANIAには連続出場を果たし、新日本の準レギュラー的な存在に成り上がる。
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CMLL(2003)
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2003年にロッキー・ロメロらと共にCMLLに1年間参戦した。
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CMLL
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「DDTプロレスリング」の記事における「CMLL」の解説
旗揚げメンバーのひとりであるNOSAWAがCMLLに参戦歴があり、最初期にはその伝でCMLLからルチャドールが来日していた。また、NOSAWAが初代王座(パートナーは佐々木貴)に就いたKO-Dタッグ王座の決定戦はCMLL興行内で行われ認定も受けている。
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CMLL
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/09 09:58 UTC 版)
2004年にミスティコ(Místico)としてCMLLに復帰し、6年間活躍した。 2005年1月1日、アベルノと対戦して勝利し、NWA世界ミドル級王座を獲得。 2006年4月12日、ネグロ・カサスとタッグを組んでアベルノ & メフィストを破り、CMLL世界タッグチーム王座を獲得。以降、アベルノ & メフィストとの間で幾度かベルトが行き来しており、宿命のライバルとなる。 2007年4月10日、メフィストからCMLL世界ウェルター級王座を奪取。シングル、タッグともにメキシコにおけるトップレスラーとなる。 2009年8月15日、新日本プロレスに参戦。IWGPジュニアヘビー級王座を保持するタイガーマスクに挑戦して勝利し、ベルトを奪取した。軽快な空中殺法で観衆を魅了し、メキシコのルチャブーム再燃に一役買う。CMLLのみならず様々な団体の王座を獲得してからは国民的英雄となっており、各系列の会社広告に起用される他、北京オリンピックの現地レポーターを務めるなど活躍の場を多方面に広げていた。
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CMLL
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/09 09:58 UTC 版)
2015年10月16日、CMLLにて記者会見を開いてリングネームを新たにミスティク2.0(Mystic 2.0、ミスティク・ドス・プント・セロ)へと変更する事を発表した。同月25日、LLE(Lucha Libre Elite)にてカリスティコ(Caristico)のリングネームで登場し、ボラドール・ジュニアと組んでロス・インゴベルナブレス(ラ・マスカラ & ルーシュ)と対戦。3本目にルールを無視した襲撃を受けて反則での勝利となった。インタビューの際にリングネームに関して現在のミスティコを尊重して改名する方針であったと答えた。 11月7日、ネサワルコヨトルを拠点にするCara Luchaにてアンヘル・デ・オロ、バルバロ・カベルナリオ、フラミータと4wayマッチを行い、最後にアンヘル・デ・オロにラ・ミスティカを決めて勝利した。同月22日、CMLL Eliteにてアトランティス & ネグロ・カサスと組んでシベルネティコ & ブラック・ウォリアー & メフィストと対戦。3本勝負での最後にシベルネティコから金的攻撃を受けて反則勝利となった。同月29日、CMLL Eliteにてアトランティスと組んでブラック・ウォリアー & シベルネティコと対戦。ルールを一切無視して両者とも攻められてしまい反則勝利となるが試合が終了しても尚、攻撃を受け続けリング外へと追い出される屈辱を受けた。12月7日、CMLL Eliteにてエル・スカイチーム(ミスティコ & バリエンテ & ボラドール・ジュニア)vs ロス・ヘルブラザーズ(シベルネティコ & シャーリー・ロックスター & メフィスト)との試合において終盤に孤立の状態で窮地に立たされたミスティコを救いに介入。2人で撃退して共演を果たした。 2016年5月21日、LLE Noche de Campeonesにて新設されたEliteミドル級王座を賭けたトルネオ・シベルネティコマッチに出場。最後まで残りライバルであるメフィストと激突。ラ・ミスティカを決めて勝利。初代王者となった。 8月21日、5年ぶりに来日を果たし、新日本プロレス主催のSUPER J-CUP 2016に参戦。ティタン & ボラドール・ジュニアと組んでグラン・ゲレーロ & エウフォリア & ウルティモ・ゲレーロを相手にスペシャル6人タッグマッチを行い、最後にボラドール・ジュニアがグラン・ゲレーロにスパニッシュ・フライを決めて勝利した。同日、13年ぶりにみちのくプロレスへ凱旋する事が決定。9月に行われるふく面ワールドリーグ戦に出場する事が発表された。9月16日より開始されたふく面ワールドリーグ戦で一回戦のサンバ・リオデジャネイロ、二回戦のジャッキー・リンと勝ち進み、同月19日、準決勝にてSUGIと対戦して最後にスパニッシュ・フライを決めて勝利。同日に行われた決勝ではレボルシオンと対戦。最後にスパニッシュ・フライからラ・ミスティカへと繋げて勝利。優勝を飾った。 2017年8月19日に全日本プロレスが主催したウルティモ・ドラゴンデビュー30周年記念大会参戦し、ウルティモ・ドラゴン、秋山準とトリオを結成し勝利。翌日の全日本プロレス岡崎市竜美丘会館大会にも参戦し、8月27日に全日本プロレス両国国技館大会においてエル・ディアマンテと30分1本勝負を行った。大空中戦の末に8分19秒にラ・ミスティカで勝利。 2019年1月21日の後楽園ホールにてボラドール・ジュニアと行った60分1本勝負のスペシャルマッチでは、一撃必殺のミスティカをボラドールにこらえられて腕を取れないという事態になり、そこから劣勢になって最後はスパニッシュフライで3カウントを取られた。 2021年8月、ミスティコ(CMLLバージョン2代目)を名乗っていたルーシュ3兄弟の次男・カルロス・ムニョス・ゴンザレスがCMLLを退団し、ドラリスティコ(DRALISTICO)にリングネームを変更。カリスティコから再びミスティコを名乗る。
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CMLL
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/03 09:24 UTC 版)
2004年のCMLL女子部再開を機に移籍。 2005年3月25日、プリンセサ・スヘイを倒しFILL女子王座を奪取。 9月9日、エリミネーションマッチを制して空位のCMLL世界女子王座挑戦権を獲得。16日の72周年大会でマルセラと争うが王座ならず。 2006年4月14日、アマポラとのマスカラ・コントラ・カベジェラに勝利してアマポラのマスク剥ぎに成功。 2009年9月26日、「ルチャリブレ・フェスタ」にてメキシコ遠征中の風香と初タッグ結成。スヘイ&闘牛・空相手に勝利を収める。 2010年9月17日、アメリカ遠征中の栗原あゆみ、マルセラとの「テクニカトリオ」でアマポラ、下田美馬、プリンセサ・ブランカと6人タッグ三本勝負で対戦。2-1勝利を挙げる。 CMLL主催ボディビルディング選手権でも2006年に優勝、2012年まで優勝7度を果たしている。 2015年8月26日、9月18日を以てCMLL退団が発表された。
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CMLL(2017 - 2018年)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/03 03:39 UTC 版)
「フリップ・ゴードン」の記事における「CMLL(2017 - 2018年)」の解説
2017年9月16日、CMLLに参戦し、ルチャリブレデビューを飾った。ボラドール・ジュニア、カリスティコとタッグを組み、CMLL 84周年記念大会で小島聡、メフィスト、ウルティモ・ゲレーロを破った。その後、アレナ・プエブラでの大会や火曜、金曜、日曜のアレナ・メヒコでの大会などにも参戦した。再びボラドール、カリスティコと組み、グランプリ・インテルナシオナル・トルネオ・シベルネティコにも参戦し、優勝した。
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CMLL
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2007年、CMLLと契約を交わし入団。ラ・ソンブラ(La Sombra)を名乗る。8月13日、エル・サグラド & ボラドール・ジュニアと組んでダミアン666 & ハロウィン & ミステル・アギラを破り、メキシコナショナルトリオ王座に戴冠。11月27日、大原はじめを破り、NWA世界ウェルター級王座を奪取。 2008年9月2日、1Dayタッグトーナメントであるトルネオ・デ・パレージャスにてブルー・パンテル & マルコ・コルレオーネと組んで出場。優勝を飾る。10月12日、トーナメントであるエル・トルネオ・コロナにメタリックと出場。同月26日、決勝にてロス・ゲレーロス・デル・アトランティーダ(オリンピコ & ウルティモ・ゲレーロ)と対戦するが引き分けとなる。11月2日、ロス・ゲレーロス・デル・アトランティーダと再戦を行い勝利。優勝を飾る。 2009年1月16日、ボラドール・ジュニアと組んでアベルノ & メフィストを破り、CMLL世界タッグ王座を奪取。 2010年5月21日、ラ・マスカラ & マスカラ・ドラダと組んでラ・フィエブレ・アマリージャ(棚橋弘至 & タイチ & OKUMURA)を破り、CMLL世界トリオ王座に戴冠。6月、新日本プロレスに初参戦を果たす。BEST OF THE SUPER Jrに初出場し、Aブロックにエントリー。3勝4敗、勝ち点6という結果に終わる。7月、無差別級トーナメントであるカンペオン・ウニベルサルに出場。8月13日、決勝にて獣神サンダー・ライガーと対戦。終盤にライガーからマスクを剥がされると手で顔を隠し無防備となったところへスモール・パッケージ・ホールドを決められ敗戦。9月27日、CMLL世界ミドル級王座を保持する獣神サンダー・ライガーに挑戦。最後に初公開となる旋回式ライガーボムを決められ敗戦。10月、新日本プロレスのSUPER J TAG LEAGUEに出場。マスカラ・ドラダと組んでAブロックにエントリー。2勝2敗、勝ち点4という結果に終わる。 2011年1月4日、新日本プロレスのレッスルキングダムVに出場。マスカラ・ドラダと組んでエクトール・ガルサ & 獣神サンダー・ライガーと対戦。終盤にライガーと攻防となり、ケブラドーラからヴァリオスプラッシュと繋げ、最後にトルニージョを決めて勝利。同月22日、日本で行われた新日本プロレス & CMLLの共催のイベントであるFantastica Mania 2011に参戦。CMLL世界ミドル級王座を保持する獣神サンダー・ライガーに挑戦。最後にコーナー最上段からダイビングボディプレスの連発から最後は垂直落下式ブレーンバスターを決められ敗戦。3月13日、NWA世界ウェルター級王座を保持するメフィストに挑戦。最後にドラゴン・ラナを決めて勝利。ベルトを奪取。4月24日、LLA(Lucha Libre Azteca)にてLLAアステカ王座を保持するアトランティス、ボラドール・ジュニアと3wayマッチによる王座戦を行い勝利。ベルトを奪取。8月、新日本プロレスのG1 CLIMAXに初出場。Bブロックにエントリー。2勝6敗、勝ち点4という結果に終わる。9月、カンペオン・ウニベルサルに出場。同月16日、決勝にてアベルノと対戦。勝利して優勝を飾った。 2012年1月22日、日本で行われた新日本プロレス & CMLLの共催のイベントであるFantastica Mania 2012に参戦。ボラドール・ジュニアとNWA世界ヒストリックミドル級王座戦を行い、最後にセカンドロープからムーンサルト・ムーンサルトを決めて勝利。王座を防衛。4月、NEW JAPAN CUPに初出場。同月5日、準決勝で後藤洋央紀と対戦。最後に昇天・改を決められ敗戦。11月、2世レスラーによるトーナメントであるラ・コパ・ジュニアに出場。12月14日、決勝にてタマ・トンガと対戦。最後にセントーンを決めて勝利。優勝を飾った。 2013年1月、日本で行われた新日本プロレス & CMLLの共催のイベントであるFantastica Mania 2013に参戦。同月19日、中邑真輔が保持するIWGPインターコンチネンタル王座に挑戦。最後にボマイェを決められ敗戦。同月20日、NWA世界ヒストリックミドル級王座を保持するドラゴン・ロホ・ジュニアに挑戦。パワーボムを中心に試合を組み立てるドラゴン・ロホ・ジュニアに対しフォール技を敢行。最後にスクールボーイで何度もフォールを奪い最後にバックドロップを決めて勝利。ベルトを奪取。2月、レイエス・デル・アイレに出場。同月15日、決勝にてボラドール・ジュニアと対戦。レフェリーのカウントの遅さにより業を煮やす両者であったが終盤に憤怒したボラドール・ジュニアによりマスクを剥がされるがボラドール・ジュニアがレフェリーを言い寄っている隙を突いて丸め込み勝利。優勝を飾った。5月31日、CMLLに参戦していた中邑真輔と再びIWGPインターコンチネンタル王座戦を行う。一進一退の攻防が続く中で最後にスクールボーイスープレックスを決めて勝利。ベルトを奪取。第5代王者に輝いた。7月、新日本プロレスのKIZUNA ROAD 2013に参戦。同月20日、中邑真輔とIWGPインターコンチネンタル王座戦を行う。終盤にブリランテドライバーを決めるカウント3を奪えず、スワンダイブボディアタックで追撃を試みるが ジャンピングニーで迎撃されるとジャンピングボマイェ、ボマイェと連続で決められ敗戦。ベルトを奪還された。9月13日、CMLL創立記念興行80. Aniversarioにてボラドール・ジュニアとマスカラ・コントラ・マスカラを行う。お互いに死力を尽くし、最後にムーンサルトプレスでの決着を予告するもコーナー最上段へ登ったところを頭部にハイキックを受けるが持ち堪えてボラドール・ジュニアを捕まえると雪崩式ファルコンアローを決めて勝利。試合後、マスクを取る事に躊躇っていたボラドール・ジュニアであったが決意するとマイクで自身との試合を健闘できたと述べるとマスクを取り、抱擁を交わした。 2014年1月、日本で行われた新日本プロレス & CMLLの共催のイベントであるFantastica Mania 2014に参戦。同月19日、ウルティモ・ゲレーロと対戦。終盤にコーナー最上段から場外へムーンサルトアタック、リングへ戻すとムーンサルトプレスを決めてムーンサルト・ムーンサルトを敢行するも両膝の剣山でブロックされるも素早く体勢を直してシャドードライバーを決めて勝利。4月25日、ルーシュ、ラ・マスカラとロス・インデセアブレス(Los Indeseables)なるユニットを結成。6月14日、NWA世界ヒストリックウェルター級王座を保持するボラドール・ジュニアと自身が保持するNWA世界ヒストリックミドル級王座を賭けたダブルタイトルマッチを行う。終盤にボラドール・スパイラルを喰らいフォールされるがラ・マスカラがレフェリーをリングから場外へ引きずり込むとルーシュがボラドール・ジュニアへルーシュ・ドライバーを決め、フォールを奪うとレフェリーは気付かずに3カウントを数え試合は終了。二冠王となった。7月26日、ユニット名をロス・インゴベルナブレス(Los Ingobernables)へと改名。11月、新日本プロレスのWORLD TAG LEAGUEに内藤哲也と組んで出場。Aブロックにエントリー。4勝3敗、勝ち点8という結果に終わった。 2015年1月、日本で行われた新日本プロレス & CMLLの共催のイベントであるFantastica Mania 2015に参戦。同月19日、マスカラ・ドラダと対戦。終盤にドラダのファイヤーバード・スプラッシュを避けるとシャドードライバーを決めて勝利。9月18日、CMLL創立記念興行82. Aniversarioのメインイベントに登場。アトランティスとマスカラ・コントラ・マスカラルールの三本勝負で対戦。1本目は自身のセコンドに付いていたルーシュがレフェリーの足を引っ張りカウントを妨害したため、反則負けを喫する。続く2本目ではシャドードライバーでアトランティスからピンフォール勝ちを収め勝敗を五分に戻し、試合は3本目に突入となるが、最後はアトランティーダでギブアップを奪われ敗戦した。試合後、ソンブラの父親であるブリランテの手によってマスクを剥がされ素顔を晒すと、アトランティスと握手を交わし互いの健闘を讃えあった。10月31日、NWA世界ヒストリックウェルター級王座を保持するボラドール・ジュニアに挑戦。試合に乱入しようとしたルーシュとラ・マスカラを制止してクリーンファイトを行うが敗戦。試合後、再びボラドール・ジュニアを襲撃しようとするルーシュを再度止めて険悪な空気に陥る。11月13日、険悪な仲となっていたルーシュと一騎討ちを行う。お互い白のコスチュームを身に纏って対戦。迷いのあるような攻防を繰り広げ、試合の進行も落ち着かない展開であったが最後にルーシュドライバーを決められ敗戦。試合後、マイクでお互いを讃え合いロス・インゴベルナブレスのタオルを広げ持ちユニットは健在である事をアピールした。
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CMLL
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2月5日、メキシコに遠征し、CMLLへ参戦。アレナ・コリセオ大会にて、全身タイツを着用した覆面レスラーナマハゲ(Namajague)としてデビューを果たす。また、現地でルードとして活動しているOKUMURAとのタッグ、ラ・フィエブレ・アマリージャ(La Fiebre Amarilla)を結成。9月9日のアレナ・メヒコ大会で、CMLL認定アレナコリセオタッグ王座を保持するストゥーカ・ジュニア & フエゴと対戦するが、敗戦した。9月14日に行われたCMLL79周年アニベルサリオ大会では、OKUMURA & タイチとのトリオで出場を果たした。 2013年3月3日にはアレナ・コリセオ大会で、再びOKUMURAとのタッグでストゥーカ・ジュニア & フエゴに挑戦。勝利を収め、アレナコリセオタッグ王座を奪取した。同月15日にはPPVであるビッグマッチ「オメナヘ・ア・ドス・レジェンダス」にてストゥーカ & レイ・コメタとマスカラ・コントラ・カベジェラを行い、敗戦。OKUMURAは丸坊主、自身はマスクを脱いで正体を明かした。以降、顔の右半分にメイクを施したペイントレスラーとして活動する。 4月26日、Arena Mexico 57th Anniversary Showに登場し、コメタとカベジェラ・コントラ・カベジェラルールで対戦するも、敗北を喫し、丸坊主となった。9月13日、CMLL80周年記念アニベルサリオ大会では、OKUMURA & 石井智宏とのトリオで出場。 11月3日、アレナ・コリセオ大会で、アレナコリセオタッグ王座の2度目の防衛戦に挑むが、ゲレーロ・マヤ・ジュニア & デルタ組に敗れ、王座を明け渡した。 その後、しばらく姿を現していなかったがファンタスティカマニア2019でCMLL側のルードとして参戦。
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「マーク・ジンドラック」の記事における「CMLL」の解説
2006年5月、メキシコのメジャー団体であるCMLLと契約を交わし入団。12日、16人トルネオ・シベルネティコグランプリに出場するが勝利するに至らなかった。9月19日、映画、ゴッドファーザーの登場人物であるコルレオーネ家を基にしたイタリア人マフィアのギミックであるマルコ・コルレオーネ(Marco Corleone)のリングネームで登場。鈴木健想をパートナーとして活動。 2007年3月30日にはウニベルソ・ドスミルと、2008年10月17日にはリスマルク・ジュニアとカベジェラ・コントラ・カベジェラマッチを行い、いずれも勝利して髪を剃った。
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「マーク・ジンドラック」の記事における「CMLL」の解説
2011年12月、CMLLに復帰。マキシモ & ルーシュとラ・テルシア・センセーションなるトリオユニットを結成して活動し、2012年2月19日、CMLL世界トリオ王座を保持するロス・イホズ・デル・アベルノ(アベルノ & メフィスト & エフェスト)と対戦して勝利し、ベルトを奪取した。8月より開催されたカンペオン・ウニベルサルでは一回戦で新日本プロレスの棚橋弘至と対戦するが敗戦した。 2014年9月より開始されたコパCMLLにてルーシュと組んで出場。決勝まで進出し、16日にラ・パステ・ネグラ(エル・バルバロ・カバルナリオ & ミステル・ニエブラ)と対戦して勝利し、優勝を飾った。 またロス・インゴベルナブレスのメンバーとしても活躍中。
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