スコルピオ・ジュニア
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/11/08 13:12 UTC 版)
スコルピオ・ジュニア | |
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プロフィール | |
リングネーム | イマジェン スコルピオ・ジュニア レッド・スコルピオン エル・バンディード サダム |
本名 | ラファエル・ヌニェス・フアン |
ニックネーム | 赤さそり二世 |
身長 | 174cm |
体重 | 98kg |
誕生日 | 1966年10月11日 |
死亡日 | 2024年11月7日(58歳没) |
出身地 | ![]() |
所属 | IWRG |
トレーナー | エル・スコルピオ ラファエル・サラマンカ |
デビュー | 1985年8月30日 |
ラファエル・ヌニェス・フアン(Rafael Núñez Juan、1966年10月11日 - 2024年11月7日)は、メキシコメキシコシティ出身の男性プロレスラー。スコルピオン・ジュニア(Scorpio, Jr.)で知られる。
来歴
「赤さそり」ことスコルピオ(エル・スコルピオ)の3人息子の長男[1]。大学では経済学を学び、その一方でアマチュアレスリング(フリースタイル44キロ級)、重量挙げなどを経験[2]、その後4年間のプロレス修行の末1985年8月30日にイダルゴ州アレナ・アクトパンでデビュー。デビューしてまもなく現在のリングネームのマスクマンになる。
1992年6月15日に日本のユニバーサル・プロレスリングにてシュー・エル・ゲレーロと組んでUWA&UWFインターコンチネンタルタッグ王座を奪取。1993年5月30日にシュー・エル・ゲレーロ、エル・エンヘンドロと組んでエル・シグノ、ネグロ・ナバーロ、ブラック・パワー2号組を破り、UWA世界トリオ王座を奪取。1994年2月には新日本プロレスに来日、シングルでは獣神サンダー・ライガー、大谷晋二郎、高岩竜一、エル・サムライ、小島聡とシングルを行った。5月30日にも同じメンバーで同じ相手にUWA世界トリオ王座を再び奪取。1994年10月にも同ベルト奪取。1997年には新日本プロレスのベスト・オブ・ザ・スーパージュニアにエントリー[1]。1998年11月13日にベスティア・サルバヘと組んで出場したCMLL世界タッグチーム王者決定トーナメントの決勝でドクトル・ワグナー・ジュニア、エル・サタニコを破りCMLL世界タッグチーム王座を奪取。1999年3月19日にベスティア・サルバヘと組んでマスカラ・コントラ・カベジェラマッチでネグロ・カサス、エル・イホ・デル・サント組に敗れ素顔になる。
2006年にはAAA、2008年にはIWRG入りした。IWRGではインターヘビー、インタータッグ、インタートリオなどを奪取した。
2024年11月7日に病気により亡くなった。58歳没[3]。
得意技
獲得タイトル
- CMLL世界タッグチーム王座(w / ベスティア・サルバヘ)
- FCWライブヘビー級王座
- IWRGインターナショナルヘビー級王座
- IWRGインターナショナルタッグ王座(w / リッキー・クルズ)
- IWRGインターナショナルトリオ王座(w / セレブロ・ネグロ、エル・ベネノ)
- UWA&UWFインターコンチネンタルタッグ王座(w / シュー・エル・ゲレーロ)
- UWA世界6人タッグ王座(w / シュー・エル・ゲレーロ、エル・エンヘンドロ×2、w / シュー・エル・ゲレーロ、ビジャノ5号)
脚注
外部リンク
- Scorpio Jr. - Luchawiki
- Scorpio Jr. - Cagematch
固有名詞の分類
新日本プロレスに参戦した外国人プロレスラー |
シッド・ビシャス シルバー・キング スコルピオ・ジュニア マイク・ポルクロペック トム・ジンク |
覆面レスラーとして活動していたプロレスラー |
シルバー・キング ブラック・ウォリアー スコルピオ・ジュニア 木村浩一郎 フベントゥ・ゲレーラ |
メキシコのプロレスラー |
ブラック・ウォリアー ダーク・クエルボ スコルピオ・ジュニア リッキー・マルビン フベントゥ・ゲレーラ |
二世レスラー |
シルバー・キング スコルピオ・ジュニア リッキー・マルビン フベントゥ・ゲレーラ ソチ浜田 |
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