ネグロ・ナバーロ
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ネグロ・ナバーロ | |
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プロフィール | |
リングネーム | ネグロ・ナバーロ チュパカブラス ウルティモ・バンピーロ |
本名 | ミゲル・カルデロン・ナバーロ |
ニックネーム | 黒い狩人[1] |
身長 | 175cm |
体重 | 90kg |
誕生日 | 1957年6月12日(68歳) |
出身地 | ![]() メキシコシティ |
トレーナー | フロレンティーノ・マルティネス |
デビュー | 1975年6月12日 |
ネグロ・ナバーロ (Negro Navarro) のリングネームで知られるミゲル・カルデロン・ナバーロ(Miguel Calderón Navarro、1957年6月12日 - )は、メキシコのプロレスラーである。メキシコシティの出身。
来歴
UWAで活躍。1970年代後半にはエル・シグノ、エル・テハノとロス・ミシオネロス・デ・ラ・ムエルテ(Los Misioneros de la Muerte)を結成。1984年4月には旧UWFに来日[2]。 1983年1月にはトリオで新日本プロレスに来日している[3]。この頃メキシコで5年連続最優秀トリオ賞を受賞[1]。 1990年代はCMLLに出ていたこともあったが、近年はIWRGを主戦場としている。 一時チュパカプラというマスクマンで活動していたことがある。
1990年代後半から2000年代前半にかけて闘龍門のコーチを務めており、オカダ・カズチカのデビュー戦の対戦相手でもある。
実子がトラウマ1号、トラウマ2号。
日本では第1次UWF旗揚げ戦で初来日しているほか、2011年7月31日、東京・わかば幼稚園で行われた府中プロレス旗揚げ戦でエル・ソラールと対戦[4]。
2025年4月27日に行われた両国国技館「LUCHA FIESTA ESPECIAL」ではエル・パンテーラと組み、ザ・グレート・サスケ、サタニコ組と対戦[5]。
得意技
- ナヴァーロスペシャル
- エスペクトリーナ卍固め
- ラ・マヒストラル
獲得タイトル
- AULL世界トリオ王座
- IWRGインターナショナルタッグ王座
- 南米ライトヘビー級王座
- FLLM王座
- UWA世界ジュニアヘビー級王座
- UWA世界ジュニアライトヘビー級王座
- UWA世界6人タッグ王座
脚注
- ^ a b 『'88プロレスオールスターSUPERカタログ』P81
- ^ Wrestlingdata.com - World's Largest Wrestling Database - 英語、2013年6月30日観覧
- ^ “Wrestlingdata.com - The World's Largest Wrestling Database”. Wrestlingdata.com. 2013年7月1日閲覧。
- ^ “ルチャの真髄エル・ソラールxネグロ・ナバーロの至宝 7・31府中プロレス旗揚げ戦は近日発売”. 週刊ファイト (2011年8月3日). 2025年7月26日閲覧。
- ^ “週刊プロレス ルチャフェスが両国に初進出、日本vs世界は大団円に/令和に蘇るハヤブサが田中に不死鳥の舞!”. 週刊プロレスms-charge.mscon.jp (2025年4月27日). 2025年7月25日閲覧。
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