エル・シグノ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/02/02 08:25 UTC 版)
エル・シグノ | |
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プロフィール | |
リングネーム | エル・シグノ ピロマニアコ |
本名 | アントニオ・サンチェス・レンドン |
ニックネーム | 悪童[1] |
身長 | 172cm |
体重 | 98kg |
誕生日 | 1954年9月4日 |
死亡日 | 2024年6月6日(69歳没) |
出身地 | ![]() オアハカ州オコトラン |
トレーナー | ディアブロ・ベラスコ |
デビュー | 1972年2月1日 |
引退 | 2010年5月1日 |
エル・シグノ(El Signo)のリングネームで知られるアントニオ・サンチェス・レンドン(Antonio Sánchez Rendón、1954年9月4日 - 2024年6月6日)は、メキシコのプロレスラーである。メキシコ、オアハカ州オコトランの出身。
来歴
1971年9月16日にオアハカ州でデビュー。デビュー当時はマスクマンであった。長らくUWA系、EMLL系のリングで活躍。1976年12月28日にメキシコシティにてエル・マテマティコを破りUWA世界ライト級王座を獲得。1979年6月24日にはティフアナでボビー・リーからUWA世界ウェルター級王座を奪取した。
1970年代後半にはネグロ・ナバーロ、エル・テハノとロス・ミシオネロス・デ・ラ・ムエルテ(Los Misioneros de la Muerte)を結成。ブラソ・デ・オロ、ブラソ・デ・プラタ、エル・ブラソのロス・モスケテロス・デル・ディアブロと抗争を繰り広げた。1981年10月には新日本プロレスに初来日。以降1980年代に数度来日し、旧UWFの旗揚げシリーズにも参戦した。また、ユニバーサルや闘龍門にも来日経験がある。
1995年にEMLLから独立したはAAAと契約。ピロマニアコ(Piromaniaco)のリングネームで活躍。1996年にはCMLLに復帰。1990年代後半からはセミリタイヤ状態になり、2010年5月1日にアレナ・ネサで引退興行が行われ引退した。
実子がエル・イホ・デル・シグノのリングネームで2008年にデビューしている。
2024年6月6日、69歳で死去[2]。
得意技
獲得タイトル
- UWA世界ジュニアライトヘビー級王座 : 1回
- UWA世界ライトヘビー級王座 : 2回
- UWA世界ライト級王座 : 1回
- UWA世界6人タッグ王座 : 6回(w / ネグロ・ナバーロ&エル・テハノ×2、ネグロ・ナバーロ&ブラック・パワー2号×2、 ネグロ・ナバーロ&ロッキー・サンタナ×2)
- UWA世界ウェルター級王座 : 1回
- WWFライトヘビー級王座 : 1回
関連項目
- シグノ (曖昧さ回避)
脚注
- ^ 『'88プロレスオールスターSUPERカタログ』P81
- ^ “Muere “El Signo”, famoso luchador mexicano, ídolo del Toreo de Cuatro Caminos” (スペイン語). www.record.com.mx (2024年6月9日). 2025年2月2日閲覧。
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