ストゥーカ・ジュニアとは? わかりやすく解説

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ストゥーカ・ジュニア

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/13 08:59 UTC 版)

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ストゥーカ・ジュニア
プロフィール
リングネーム ストゥーカ・ジュニア
ニックネーム 人間爆弾
身長 170cm
体重 90kg
誕生日 (1979-07-17) 1979年7月17日(42歳)
出身地 メキシコドゥランゴ州ゴメスパラシオ
所属 CMLL
トレーナー エル・サタニコ
デビュー 2002年2月27日
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ストゥーカ・ジュニアStuka Jr.1979年7月17日 - )は、メキシコ覆面レスラードゥランゴ州ゴメスパラシオ出身[1]

であるストゥーカもプロレスラーである。同CMLLで活躍するミニ・エストレージャのストゥキートとは血縁関係はない。

来歴

2002年2月27日、プロレスデビュー戦を行う。

その後、エル・サタニコの下で指導を受け、2006年4月30日にCMLLでデビューを果たす。

2008年6月、フラッシュ(現:フエゴ)とのタッグでCMLL認定アレナコリセオタッグ王座を巡るトーナメントに出場。決勝戦で、ロス・インフェルナレスのエウフォリア & ノスフェラトゥ組と対戦し、勝利。同王座に戴冠。

2010年1月6日、マスカラ・ドラダメトロとのトリオで、空位となったメキシコナショナルトリオ王座に戴冠し、二冠王に輝く。2011年1月9日、アンヘル・デ・オロ & ディアマンテ & ルーシュ組に敗れ、ナショナルトリオ王座から陥落する。

2013年3月3日、セミファイナルにフエゴとのタッグで、ラ・フィエブレ・アマリージャのOKUMURA & ナマハゲ組と対戦。この試合に敗退し、長期に渡り、保持してきたアレナコリセオタッグ王座から陥落する[2]。15日、「オメナヘ・ア・ドス・レジェンダス」のメインイベントにレイ・コメタと組んで、OKUMURA & ナマハゲ組とマスカラ&カベジェラ vs マスカラ&カベジェラ形式のタッグマッチで対戦。一本目はコメタがピンフォール負けを喫したが、その後は立て続けに勝利を収め、OKUMURAを丸坊主に、ナマハゲのマスクを剥ぐことに成功した[3]

2014年1月、新日本プロレスが主催する「CMLL FANTASTICA MANIA 2014」に出場。同団体に初参戦を果たした。

得意技

DDT
相手の左腕をハンマーロックで捕らえてから、放つ型を使用する。
エル・トルペド(トルペド・スプラッシュ)
場外に背を向けた状態でコーナーポスト上で直立し、後方へジャンプしながら、相手に身体を浴びせていくプランチャ・スイシーダ。

このほかトペ・スイシーダなど飛び技は、気を付けの姿勢で頭から突っ込んで飛ぶのが特徴となっている。

獲得タイトル

脚注

出典

外部リンク




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