初防衛戦
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2008年12月8日、後楽園ホールで行われた「ダイヤモンドグローブ」にて小関桃(青木) vs 金慧珉(韓国)との女子ダブル世界戦として菊地奈々子(白井・具志堅スポーツ)相手に初防衛戦を行い、JBC女子公認後の世界戦として初の日本人対決となった。試合はいきなり1Rに菊地の右ストレートを喰らい、プロ初のダウンを喫したが、8R終了時の公開採点で三者三様となるまで盛り返し、9Rに菊地が目を負傷して、10R21秒でレフェリーストップとなり逆転TKOで2度目の防衛に成功した。 初防衛直後の12月10日、前王者サムソン・ソー・シリポンが防衛戦を行うことが困難になったため王座返上。これにより、同日付で富樫が正規王者に昇格。日本人世界王者で暫定から正規に昇格したのは男子も含め富樫が初めてである。品川区民栄誉賞受賞[要出典]。同年度より設けられた女子最優秀選手賞を受賞。 2009年2月26日、後楽園ホールで、現役ボクシング世界王者だった小関桃とともに自身の名前が刻印された金色のプレートを世界王座獲得者のプレートに金槌で打ち込んだ。女子選手のプレート掲示は富樫と小関の両名が初である。
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初防衛戦
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2005年9月25日、初防衛戦が横浜アリーナにて行われた。当初、ランキング1位のディエゴ・モラレス(メキシコ)との指名試合となる予定だったが、モラレスが練習中に負傷。試合1週間前になって急遽、ランキング8位のヘラルド・マルチネス(メキシコ/27勝(20KO)5敗2分)に変更となった。モラレスはサウスポーなのでこれまでサウスポー対策の練習をしてきたが、マルチネスはオーソドックススタイルだった。 試合では序盤から長谷川がペースをつかみ、2回にはマルチネスを2度倒した(しかし、いずれも「スリップ」と判断された)。その後、3回には正真正銘のダウンを奪う。そして、迎えた7回、開始早々強烈な左ストレートでダウンを奪う。その後1分も経たないうちに、早い連打で2度目のダウンを奪う。そして、両者捨て身の打ち合いとなり、最後は長谷川の左がマルチネスを捕らえ、3度目のダウン。ここでレフェリーが試合をストップ。7回2分18秒TKO、通算4度のダウンを奪う快勝で防衛成功。
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初防衛戦
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2009年1月3日、パシフィコ横浜にて初防衛戦。1階級下のWBC世界バンタム級王者(当時)長谷川穂積に挑戦経験を持つ同級7位ヘナロ・ガルシア(メキシコ)と対戦し、2度のダウンを奪った末の最終12回TKO勝ちを収めた。 日本人世界スーパーバンタム級(ジュニアフェザー級)王者はこれまで3人(ロイヤル小林、畑中清詞、佐藤修)いたが、いずれも初防衛戦で王座から陥落しており、西岡が日本人として初めてこの階級での王座防衛を果たした形となった。
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