世界王座初防衛戦
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1996年6月24日、初防衛戦。横浜アリーナでランキング1位ウィリアム・ジョッピー(米国)との指名試合に臨む。この興行ではジョッピーと契約する世界的プロモータードン・キングも会場を訪れた。テレビ中継もテレビ東京がゴールデンタイムに全国ネットで生中継。 試合は初回から竹原の力み過ぎが目立ち、挑戦者の右をまともに浴びた王者が手をキャンバスに付くダウン。その後も出色のスピードを誇るジョッピーに終始ペースを握られる。迎えた9回、挑戦者が連打で王者をコーナーに追い詰めたところでレフェリーストップ。6か月で世界王座から陥落した。 試合後、一時は再起に向け練習を再開するも、その後網膜剥離が判明。引退を余儀なくされた。
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