世界王座挑戦、東洋王座陥落と奪還
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「青木勝利」の記事における「世界王座挑戦、東洋王座陥落と奪還」の解説
1963年4月4日、蔵前国技館にて世界バンタム級タイトルマッチを行い、王者エデル・ジョフレ(ブラジル)に挑戦する。1回・2回は優勢に進めるも、3回に左ボディブローにより2度ダウンし、KO負けとなる。9月5日、後楽園ジムにて東洋王座初防衛を戦行うが、カーリー・アグイリー(フィリピン)に9回KOで敗れて王座から陥落する。1964年3月25日、東洋王座に再挑戦し、後楽園ジムにて催されたアグイリーとのリターンマッチを10回TKOで制して王座を奪還した。9月12日には後楽園ジムにて防衛戦を行い、アル・パターソン(フィリピン)を判定で破っている。
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