世界王座戦
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彼はそれらのマイナー王座を防衛し続けながら着実にランクアップをして2002年9月7日に最初の世界王座挑戦を行う。しかし、対戦相手はWBA・WBC・IBF世界ライトヘビー級王者ロイ・ジョーンズ・ジュニアであり、6回TKOで敗れた。2回目の世界王座戦は2003年11月7日でグレンコフ・ジョンソンと空位のIBF王座を争ったが、試合は判定ドローとなり、王座獲得に失敗した。2004年2月6日に再度空位のIBF王座をグレンコフ・ジョンソンと争ったが、今度は1-2の僅差判定負け。 2005年3月4日、4度目の世界王座挑戦。IBF世界ライトヘビー級王座決定戦でリコ・ホイエと対戦し、5回TKO勝ちで世界王座を獲得した。 2007年9月29日、挑戦者フリオ・セサール・ゴンザレスと対戦し、3-0の判定勝ちで4度目の防衛に成功した。 2008年4月12日、5度目の防衛戦でアントニオ・ターバーと対戦し、0-3の判定負けで王座から陥落した。 2009年8月28日、ハリウッドのハードロック・ホテル・アンド・カジノで開催されたIBF世界ライトヘビー級王座決定戦でタボリス・クラウド(アメリカ)と対戦し、8回にはストップ寸前の劣勢となって0-3の判定負けを喫し、王座奪回に失敗した。
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