5度目の防衛戦
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2010年10月2日、敵地メキシコ・グアダラハラでシルバー王者イルマ・サンチェスと5度目の防衛戦に挑む。この試合は交渉がまとまらず、WBC本部で入札が行われ、サンチェス側が42,000ドルで落札したと伝えられている。完全アウェーかつ海抜1500mの高地で行われる指名試合という不利な条件ながら3-0(99-91、97-93、99-93)の判定勝ちで5度目の王座防衛に成功。2度の海外防衛は男子を含めても初。この試合は同年度の女子年間最高試合に選ばれ、2年ぶりの女子最優秀選手とダブル受賞となった。なお、同地では1週間後に石田順裕のタイトルマッチも行われた。また、サンチェスは次の試合でIBF王座を獲得している。
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5度目の防衛戦
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2008年1月10日、大阪府立体育会館第一競技場に於いて、欧州バンタム王者でありWBC世界同級1位のシモーネ・マルドロット(イタリア/26勝(9KO)1敗)を挑戦者に迎え5度目の防衛戦に臨んだ。前述のジム移籍問題があったため、8か月ぶりの試合となった。試合は序盤、長谷川が右目上を大きくカットし流血するというアクシデントに見舞われた。中盤以降は王者、挑戦者の両者共に譲らず激しい打撃戦を繰り広げた。右目上をカットした長谷川は、要所で的確に有効打を決め、確実にポイントを集めた。最終12ラウンドでは両者が真っ向から打ち合い、世界戦に相応しい好試合となった。試合は長谷川が大差の判定勝ちを収め、日本人ボクサーで初めて世界バンタム級王座を5度防衛することに成功した。 この試合は米国進出へのテストマッチとなっていたが、長谷川の流血を伴う判定防衛によって保留となった。
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5度目の防衛戦
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2010年10月24日、東京都墨田区の両国国技館で同級1位のレンドール・ムンロー(英国)と対戦。東京ミッドタウンのキャノピー・スクエアで行われた前日計量は一般公開され、日本では初めて生中継された。試合では西岡が序盤から的確にムンローにパンチを浴びせ、何度もロープへ追い詰めるなど相手を終始圧倒。左拳の負傷(出血)もありKOこそ逸したが、大差(ジャッジ3者とも119-109)の判定勝ちを収めて5度目の防衛に成功。現役世界王者のまま死去した帝拳ジムの先輩大場政夫と防衛回数で並んだ。 試合から2か月後の12月28日、2010年度ボクシング年間表彰で最優秀選手賞に選ばれた。34歳での同賞受賞は史上最年長記録となった。
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