5度目の創設(1397年 - 1498年)
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「ブロワ伯」の記事における「5度目の創設(1397年 - 1498年)」の解説
オルレアン家が保持 ブロワ伯領の権利はルイ1世・ドルレアンに与えられたものの、ブロワはすぐに王領には併合されなかった。結果として、オルレアン公が1498年にルイ2世がフランス王ルイ12世となるまでブロワ伯位も保持した。 肖像名前在位他の称号説明 ルイ1世・ドルレアン(1372年3月13日 - 1407年11月23日) 1397年 - 1407年 オルレアン公トゥレーヌ公ヴァロワ伯ソワソン伯アングレーム伯ヴェルテュ伯 シャルル5世の次男。1392年にアパナージュとしてオルレアンを与えられ、1397年にブロワ伯ギー2世が死去した後、ブロワに対する全ての権利を手に入れた。ブルゴーニュ公ジャン1世の命で暗殺された。 シャルル・ドルレアン(1394年11月24日 - 1465年1月5日) 1407年 - 1465年 オルレアン公ヴァロワ伯ソワソン伯 ルイ1世・ドルレアンの息子。イングランドへの旅の後、マリー・ド・クレーヴと結婚しブロワ城に住み、1444年にトゥールで停戦交渉を行い百年戦争を終わらせることとなった。 ルイ2世・ドルレアン(フランス王ルイ12世)(1462年6月27日 - 1515年1月1日) 1465年 - 1498年 オルレアン公ヴァロワ伯フランス王 (1498年より) シャルル・ドルレアンの息子。ブロワ城で生まれ、1498年にシャルル8世が死去した時、アンボワーズに向かい、すぐにルイ12世として即位した。結果として、オルレアン伯領は王領となり、王の宮廷はブロワに移った。
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