修斗時代
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「アレッシャンドリ・フランカ・ノゲイラ」の記事における「修斗時代」の解説
1998年4月26日、Shoot the Shooto XXで当時無敗を誇っていた修斗ライト級(-65kg)王者朝日昇と対戦し、ギロチンチョークで一本勝ち。 1999年3月28日、初参戦となった修斗で大石真丈と対戦し、腕ひしぎ十字固めで一本勝ち。 1999年9月5日、修斗ライト級(-65kg)チャンピオンシップで朝日昇と再戦し、ギロチンチョークで一本勝ちを収め王座獲得に成功した。 2000年8月27日、巽宇宙との初防衛戦が行われ、ギロチンチョークで一本勝ちし、初防衛を果たした。 2000年12月17日、ステファン・パーリングにギロチンチョークで一本勝ち。 2001年5月、勝田テツオに判定負け。 2001年9月2日、勝田哲夫との2度目の防衛戦でもギロチンチョークで一本勝ち。 2001年12月16日、戸井田カツヤとの3度目の防衛戦ではギロチンチョークを一切使わず、3-0の判定勝ち。 2002年7月、阿部裕幸にKO負け。 2002年12月14日、4度目の防衛戦は7月にKO負けした阿部裕幸との再戦し、チョークスリーパーで一本勝ち。リベンジを果たした。 2003年8月10日、5度目の防衛戦はステファン・パーリングとの再戦し、引き分けで王座を防衛した。 2003年12月14日、佐藤ルミナからフロントネックロックで一本勝ち。 2004年12月14日、門脇英基からギロチンチョークで一本勝ち。 2005年3月11日、ジョン・ホーキに判定勝ちし、6度目の防衛戦に成功。
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修斗時代
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1996年6月アマ修斗大宮フリーファイトに出場しサブミッション勝ち。7月全日本アマ修斗選手権で勝ち上がり決勝で宇野薫を柔道の腕挫脚固である「腹固め」でサブミッション勝ちして優勝しプロ昇格。10月4日、プロ修斗デビュー戦(ウェルター級)で宇野薫にサブミッション勝ち。 1998年5月13日、修斗ミドル級(-76 kg)王座決定戦で中尾受太郎と対戦し、3-0の判定勝ちを収め王座獲得に成功した。 1999年、UAEで開催されたアブダビコンバットに出場。77 kg未満級では3位入賞を果たし、無差別級準決勝では自身より40 kgも重いリコ・ロドリゲスと対戦し苦戦を強いられるが、最後はヒールホールドでサブミッション勝ち。決勝でホベルト・トラヴェンに敗れたが、軽量級でありながら無差別級での準優勝を果たした。 2001年8月26日、修斗ミドル級チャンピオンシップでアンデウソン・シウバと対戦し、0-3の判定負けを喫し王座陥落した。 2001年10月、地元・茨城県龍ケ崎市にマッハ道場(のちの「マッハ道場 茨城」)を設立。 2002年1月12日の修斗大会において、UFCに参戦し世界ウェルター級王者マット・ヒューズにタイトルマッチで挑戦することが発表される。3月22日のUFC 36でのヒューズとの対戦は、テイクダウンを繰り返されトップポジションを取ることができない展開が続き、最後はパウンド連打でTKO負けを喫し王座獲得に失敗した。試合当日、直前にギックリ腰を併発しての闘いであった。
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