2度目の防衛戦
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2009年5月2日、後楽園ホールで、「女子世界&OPBF 5大タイトルマッチ」(メインは内山高志の東洋太平洋戦)の一戦として、後のWBO王者ティラポーン・パンニミットと対戦歴があるWBC15位のOA・ゴーキャットジム(タイ) と対戦し、3-0(96-94、96-92、97-92)の判定勝ちで2度目の防衛に成功した。 2009年6月26日、「G Legend2」にて小関桃とエキシビションマッチ。
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2度目の防衛戦
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2009年5月23日、敵地に渡っての2度目の防衛戦。メキシコ・モンテレイのモンテレーアリーナで、同級2位で元WBO世界バンタム級王者でもあるジョニー・ゴンサレス(メキシコ)との指名試合で対戦。ゴンサレスはアメリカでもビッグマッチを戦うなど、世界的な知名度と人気は西岡を遥かに上回るスター選手。この試合はゴンサレスの母国開催ということもあって、メキシコ国内ではゴンサレスが勝つことは前提で、この日の前座で復帰戦を戦うラファエル・マルケスとの同国人スター対決を期待する声が大きく挙がっていた。また、当時のメキシコでは豚インフルエンザが大流行して多数の死者が出ている状況であり、試合の実現も危惧されたが、西岡はメキシコで戦う決断をした。 試合は初回2分過ぎ、挑戦者の右で尻もちをつくダウンを奪われたものの、王者にダメージは見られずすぐに立ち上がる。そして迎えた3回、1分を経過しようとしたところで王者の左ストレートが挑戦者の顎にクリーンヒットし仰向けにダウン。ゴンサレスは何とか立ち上がり試合続行の意思表示を示したものの、レフェリーが試合をストップ。西岡が劇的なTKO勝ちを収め王座防衛に成功。日本人世界王者としては1985年の渡辺二郎以来、24年ぶり2人目の海外での世界王座防衛を果たした。メキシコの放送局は母国のスター選手を一発のパンチで倒した西岡の左ストレートを「モンスターレフト」と呼んでその衝撃を表現した。 この試合の功績により、東日本ボクシング協会は6月15日の理事会で特別表彰を決定。その後、日本ボクシングコミッションからはコミッショナー特別功労賞の贈呈が決定した。同賞の表彰式は7月14日に後楽園ホールで、ジムの後輩・粟生隆寛のWBC世界フェザー級王座初防衛戦に先立って行われ、翌年4月30日の試合後にはこの記念品として宮田亮平の制作した特製トロフィーが贈られた。 2010年1月には2009年度の年間最高試合に選出された(海外での試合が年間最高試合に選出されたのは4度目)。 また、WBCもこの試合を高く評価し後に年間ベストKO賞を授与。2010年7月29日から3日間イギリス・カーディフで開催されたWBC主催の祭典「WBC王者たちの夜」(WBC NIGHT OF CHAMPIONS) の最終日に表彰式が行われ、最優秀選手賞のヘビー級王者ビタリ・クリチコ、ミドル級王者セルヒオ・マルチネスなど錚々たる王者らと共に表彰を受けた。
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