下田昭文とは? わかりやすく解説

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下田昭文

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/04/13 20:47 UTC 版)

下田 昭文
基本情報
本名 下田 昭文
通称 Sugar[1]
Speedster[2]
階級 フェザー級
身長 171.2cm
リーチ 169.4cm
国籍 日本
誕生日 (1984-09-11) 1984年9月11日(40歳)
出身地 広島県呉市
スタイルボクサーファイター
プロボクシング戦績
総試合数 39
勝ち 31
KO勝ち 14
敗け 6
引き分け 2
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下田 昭文(しもだ あきふみ、1984年9月11日[3] - )は、日本の元プロボクサー広島県呉市出身[3]。両親の転勤で、北海道を経て東京に移る[3]。第32代日本スーパーバンタム級王者[3]。第37代OPBF東洋太平洋スーパーバンタム級王者[3]。元WBA世界スーパーバンタム級王者[3]帝拳ボクシングジム所属[3]保善高等学校中退。

人物

2002年に帝拳ボクシングジムに入門し、葛西裕一トレーナーの勧めでプロに転向[3]。かつては基礎練習が嫌いで、8回戦時代まではろくにロードワークもしなかったほどであった[3]。しかし西岡利晃の後継者に指名され、2006年に初の敗北を喫したあたりから徐々に考えを改めるようになり、以後はジムの誰よりも練習熱心になったという[3]。本人は後に「自分がいやだと思うことを逃げずにやっていけばいいんだと気付いた」と語っている[4]

800メートル走はジムでトップというフィジカルの強さが武器[3]。WBA世界スーパーバンタム級王者を獲得した2011年1月の李冽理戦では、勝負がほぼ決していた最終12回も攻め続けた。「アウトボクシングは格好悪い。自分の感性でいった」と試合を総括し、今後の目標については「男らしく強く。背中を見せられるようになりたい」と述べた[3]

性格は「天然」で、グアムキャンプで初めての海外渡航の際も、紙袋1つで成田空港に現れた。日焼けサロンを好み、本田明彦帝拳ボクシングジム会長が夏にゴルフで真っ黒になると「会長も日サロに行ったんですか?」と真顔で尋ねたという[4]

来歴

ボクシングを始めたのは中学3年生の時[3]。中学時代は「ちょくちょく停学になった」という問題児で、その影響もあってか5つの高校で不合格となり「ストレス発散のため」に帝拳ジムを訪れたという[3]。しかし入門後は早速才能を発揮し、入門からわずか2日後にはスパーリングを許される。高校は入学後2ヶ月で中退したものの、2002年にはまだプロデビュー前にもかかわらず、同年にセレス小林とのWBA世界スーパーフライ級タイトルマッチのために来日したアレクサンデル・ムニョスのスパーリングパートナーを務めた[4]

2003年1月18日 プロデビュー戦を1RTKO勝利で収めた[3]

2003年11月2日、東日本バンタム級新人王トーナメント決勝戦で高山和徳を6R判定で下し、東日本バンタム級新人王となった[3]

2006年2月4日 瀬藤幹人に10R判定で敗れ、13戦目で初黒星となった。

2006年11月13日、日本武道館で行われたダブル世界戦のアンダーカードでWBC世界スーパーバンタム級9位・WBA世界同級13位としてソニー・ゴンサレスとの123ポンド契約6回戦に3-0の判定勝利を収めた。

2007年4月9日、日本スーパーバンタム級王者山中大輔に挑戦し、10R判定勝利で念願のタイトルを奪取した[3]

2007年8月4日 塩谷悠に3-0の判定勝ち。

2007年12月1日には小林秀徳に3-0の判定勝ちで2度の防衛に成功した。2007年度プロ・アマチュア年間表彰選手選考会で新鋭賞に選出された。

2008年4月5日、JCBホールで前王者・山中との再戦に3-0の判定勝利を収め、3度目の防衛戦に成功した。

2008年10月4日、4度目の防衛戦で三浦数馬と対戦。三浦が偶然のバッティングにより6Rに眉間、8Rに左目上をカットし、8R負傷判定となって1-2で負け、王座を失った[3]

2009年2月21日、ホセ・アルボレタと再起戦を行うも3R負傷引分となった。アルボレタは下田戦を最後に交通事故に巻き込まれ死去した[5]。この後ロサンゼルスのメイウッド・ジムを経てラスベガスへ移り[6]、2009年は通算約4か月半、米国で修業をした[7]

2009年6月27日、メキシコヌエボ・ラレードのラウロ・ルイス・ロンゴリア闘牛場でマウリシオ・ベセリルとフェザー級契約で対戦し、初回KO勝利を収めた[6]

2009年10月10日、国立代々木競技場第二体育館で行われたダブル世界戦のアンダーでWBC7位・WBA11位として124ポンド契約8回戦を行い、6RTKO勝利を収めた。

2010年3月28日、名古屋国際会議場でWBC世界スーパーバンタム級7位・WBA世界スーパーバンタム級13位として、WBC世界スーパーバンタム級13位でOPBF東洋太平洋スーパーバンタム級王者大橋弘政と対戦し、3-0(2者が116-113、116-112)の判定勝利で王座を獲得した[3][8]。 2010年8月7日、OPBF東洋太平洋スーパーバンタム級1位で韓国スーパーバンタム級王者の孫昌鉉と対戦。4Rに偶然のバッティングで互いに負傷OPBF東洋太平洋スーパーバンタム級し、5Rに自身の左側頭部からの出血により試合が止められ、3-0の負傷判定勝利で初防衛に成功した[9]

2011年1月31日 26戦目で世界初挑戦。東京有明コロシアムWBA世界スーパーバンタム級王者李冽理に挑戦。激しい打ち合いに終始し、王者から1度のダウンを奪われたものの、3度のダウンを奪い、3-0の判定勝ちで王座を獲得した[3][10] 。 2011年7月9日 世界王座初防衛戦。アメリカ合衆国ニュージャージー州アトランティックシティボードウォーク・ホールで、WBA世界スーパーバンタム級1位のリコ・ラモス(アメリカ)との指名試合に臨んだ。日本人世界王者が米国本土で防衛戦を行ったのは初めてのことであり、試合はHBOの『ボクシング・アフターダーク』でダブルメインイベントのメインカードのひとつとして生中継された[11][12]。試合を優位に進め、半分の6回を終えた時点でポイントを大きくリード。しかし、7回に入ると下田の動きは急に悪くなり[13]、残り30秒を切ったところで挑戦者の左フックをアゴに浴び、たまらずダウン。立ち上がろうとしたものの足がふらつき、そのまま10カウント。2分46秒KO負けを喫し、5か月余りで世界王座を手放した[14]。CompuBox社のシステムを用いたパンチのコンピュータ集計によれば、全体の手数ではラモスを上回っていたものの、積極的に出したジャブが正確性を欠いていた[15]

2011年12月3日 後楽園ホールでジョネル・アビリオとノンタイトル10回戦を行い、3-0(2者が99-91、99-93)の判定勝ちを収め再起に成功した[16]

2012年4月16日、「ダイナミックグローブ」500回記念興行でホセ・アルベルト・ゴンサレスとノンタイトル10回戦を行い、10回1分0秒TKO勝ちを収めた[17]

2011年8月4日、後楽園ホールでリチャード・ベトスと56.2kg契約10回戦を行い、3-0(2者が100-87、100-88)の判定勝ちを収めた[18]

2012年11月14日、後楽園ホールでウーゴ・パルティダと124ポンド契約10回戦を行い、9回1分18秒TKO勝ちを収めた[19]

2013年4月6日、後楽園ホールロリ・ガスカと対戦し、1-0(97-94、96-96、95-95)の判定で引き分けた[20]

2013年9月7日、後楽園ホールアレハンドロ・エルナンデスと125ポンド契約10回戦を行い、3-0(99-91、98-93、97-94)の判定勝ちを収めた[21]

2014年2月22日、マカオにあるザ・ベネチアン・マカオコタイ・アリーナにて、WBA世界フェザー級スーパー王者IBO世界フェザー級王者のシンピウィ・ベトイェカと対戦する予定だったが、WBAがWBA世界フェザー級スーパー王者のベトイェカに対し、WBA世界フェザー級正規王者のニコラス・ウォータースとのWBA世界フェザー級王座統一戦を優先するよう指令を出した為、シンピウィ・ベトイェカ戦は中止となったが[22]、同日コタイ・アリーナで鄒市明vsヨクトーン・ゴーキャットジムの前座で元WBO世界スーパーフライ級王者マービン・ソンソナWBOインターナショナルフェザー級王座決定戦を行い王座獲得を目指したが、3回1分17秒KO負けで王座獲得に失敗した[23]

2015年12月29日、有明コロシアムで日本フェザー級王者細野悟と対戦するが、1-2(92-97、93-96、96-95)の判定で敗れ日本2階級制覇に失敗した[24]

2016年10月1日、後楽園ホールで行われた「第554回ダイナミックグローブ」でガドウィン・トゥビゴンとフェザー級契約8回戦を行い、2回1分58秒KO勝ちを収めた[25]

2016年12月31日、岐阜メモリアルセンターで愛ドームで日本フェザー級王者の林翔太と対戦し、10回0-3(94-95×2、94-97)の判定負けを喫し日本2階級制覇に失敗した[26]

2017年2月21日、自身のブログに於いて現役引退を表明した[27]

2019年11月、埼玉県さいたま市浦和区にフィットネスボクシングジム「シュガーフィット・ボクシングジム」を開設した[28]

戦績

  • アマチュアボクシング:2戦2勝 (2KO・RSC) 無敗
  • プロボクシング:39戦31勝 (14KO) 6敗2分
日付 勝敗 時間 内容 対戦相手 国籍 備考
1 2003年1月18日 1R 2:08 KO 渡辺一正 日本
(TI山形)
プロデビュー戦
2 2003年4月17日 4R 判定3-0 木下健志 日本
(横浜さくら)
3 2003年6月13日 1R 0:50 KO 川島弘也 日本
(シャイアン長谷川)
4 2003年7月29日 2R 1:38 KO 宮原弘成 日本
(東拳)
5 2003年9月26日 3R 2:10 KO 刈込文宏 日本
(館山牛若丸原田)
6 2003年11月2日 4R 判定3-0 高山和徳 日本
(船橋ドラゴン)
東日本バンタム級新人王トーナメント
決勝戦
7 2004年7月3日 4R 1:41 TKO 佐々木裕 日本
(ナカハマ)
8 2004年10月2日 6R 判定3-0 竹下隆之 日本
(角海老宝石)
9 2005年2月5日 8R 0:42 TKO 白石拓磨 日本
(ファイティング原田)
10 2005年7月2日 4R終了 TKO 井野秀作 日本
(正拳)
11 2005年9月3日 8R 判定3-0 デッサイヤーム・シッポーダム タイ
12 2005年11月5日 10R 判定3-0 小田島務 日本
(新日本仙台)
13 2006年2月4日 10R 判定0-2 瀬藤幹人 日本
(協栄)
14 2006年6月3日 7R 2:10 TKO ヘラルド・マルチネス メキシコ
15 2006年11月13日 6R 判定3-0 ソニー・ゴンザレス フィリピン
16 2007年4月9日 10R 判定3-0 山中大輔 日本
(白井具志堅)
日本スーパーバンタム級タイトルマッチ
17 2007年8月4日 10R 判定3-0 塩谷悠 日本
(川島)
日本王座防衛1
18 2007年12月1日 10R 判定3-0 小林秀徳 日本
(角海老宝石)
日本王座防衛2
19 2008年4月5日 10R 判定3-0 山中大輔 日本
(白井具志堅)
日本王座防衛3
20 2008年10月4日 8R 0:38 負傷判定1-2 三浦数馬 日本
(ドリーム)
日本王座陥落
21 2009年2月21日 3R 1:08 負傷 ホセ・アルボレダ パナマ
22 2009年6月27日 1R 2:15 KO マウリシオ・ベセリル メキシコ
23 2009年10月10日 6R 2:23 TKO セーンヒラン・ルークバンヤイ タイ
24 2010年3月28日 12R 判定3-0 大橋弘政 日本
(HEIWA)
OPBF東洋太平洋スーパーバンタム級タイトルマッチ
25 2010年8月7日 5R 0:34 負傷判定3-0 孫昌鉉 韓国 OPBF防衛1→返上
26 2011年1月31日 12R 判定3-0 李冽理 韓国
(横浜光)
WBA世界スーパーバンタム級タイトルマッチ
27 2011年7月9日 7R 2:46 KO リコ・ラモス アメリカ合衆国 WBA陥落
28 2011年12月3日 10R 判定3-0 ジョネル・アリビオ フィリピン
29 2012年4月16日 10R 1:00 TKO ホセ・アルベルト・ゴンサレス メキシコ
30 2012年8月4日 10R 判定3-0 リチャード・ベトス フィリピン
31 2012年11月14日 9R 1:18 TKO ウーゴ・パルティダ メキシコ
32 2013年4月6日 10R 判定1-0 ロリ・ガスカ フィリピン
33 2013年9月7日 10R 判定3-0 アレハンドロ・エルナンデス メキシコ
34 2014年2月22日 3R 1:17 KO マービン・ソンソナ フィリピン WBOインターナショナルフェザー級王座決定戦
35 2015年6月6日 8R 判定3-0 関豪介 日本
(角海老宝石)
36 2015年10月3日 5R 2:55 TKO ジェリー・ナード フィリピン
37 2015年12月29日 10R 判定1-2 細野悟 日本
(大橋)
日本フェザー級タイトルマッチ
38 2016年10月1日 2R 1:58 KO ガドウィン・トゥビゴン フィリピン
39 2016年12月31日 10R 判定0-3 林翔太 日本
(畑中)
日本フェザー級タイトルマッチ
テンプレート

獲得タイトル

受賞歴

脚注

  1. ^ Akifumi Shimoda’s Luck of the Draw”. Max Boxing (2011年7月8日). 2011年10月19日閲覧。
  2. ^ Shimoda wins WBA 122lb belt”. FightNews.com (2011年1月31日). 2011年2月4日時点のオリジナルよりアーカイブ。2011年9月1日閲覧。
  3. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t 「下田新王者!1度倒され3度倒した」2011.02.01、日刊スポーツ、東京日刊
  4. ^ a b c 東京中日スポーツ・2011年2月1日付 9面
  5. ^ 下田と戦ったアルボレタが交通事故で重傷 ボクシングニュース「Box-on!」 2009年8月7日閲覧
  6. ^ a b 初回TKO勝ちの下田「目標は世界」 ボクシングニュース「Box-on!」 2009年6月28日閲覧
  7. ^ 下田、初防衛! 偶然のバッティングで負傷判定…東洋太平洋Sバンタム スポーツ報知 2010年8月8日閲覧
  8. ^ 有効打で圧倒! 下田がタイトル奪取…東洋太平洋Sバンタム スポーツ報知 2010年3月29日閲覧
  9. ^ 下田、不満の負傷判定防衛 OPBFバンタム級戦 ボクシングニュース「Box-on!」 2010年8月7日閲覧
  10. ^ 下田世界王座獲得 李を3度倒して快勝 S・バンタム級 ボクシングニュース「Box-on!」 2011年2月1日閲覧
  11. ^ 杉浦大介 下田昭文が開きかけた扉 スポーツコミュニケーションズ 2011年7月15日
  12. ^ Cintron-Molina, Ramos-Shimoda and Arreola-Ahunanya tonight EastSideBoxing.com 2011年7月9日
  13. ^ 敵地にのまれた…下田、逆転KO負けで陥落 スポーツニッポン 2011年7月11日
  14. ^ 下田、ラモスの一発に沈む KO負けで王座防衛失敗 スポーツナビ 2011年7月10日閲覧
  15. ^ Ramos vs Shimoda - CompuBox Stats BoxingScene.com 2011年7月10日
  16. ^ 前世界王者下田が復帰戦飾る ボクシングニュース「Box-on!」 2011年12月4日
  17. ^ ダイナミックグローブ500回記念――下田最終回TKO勝ち ボクシングニュース「Box-on!」 2012年4月18日
  18. ^ 下田 再起3連勝!ベトスに判定勝ち 3度ダウン奪う スポニチアネックス 2012年8月5日
  19. ^ 下田がメキシカンをTKO ボクシングニュース「Box-on!」 2012年11月14日
  20. ^ 下田昭文とロリ・ガスカはドロー ボクシングニュース「Box-on!」 2013年4月6日
  21. ^ 下田、メキシカンに判定勝ち 石本も快勝 Boxing News(ボクシングニュース) 2013年9月7日
  22. ^ マカオの下田×ベチェカ戦はなし Boxing News(ボクシングニュース) 2014年1月10日
  23. ^ 下田、マカオでまさかのKO負け Boxing News(ボクシングニュース) 2014年2月22日
  24. ^ 細野悟が下田昭文に2-1勝ち、Fe級サバイバル対決 Boxing News(ボクシングニュース) 2015年12月29日
  25. ^ 石本康隆が10回TKOでV2、下田昭文は2回KO勝ち Boxing News(ボクシングニュース) 2016年10月1日
  26. ^ 林翔太が下田昭文に3-0判定勝ち、日本Fe級初防衛 Boxing News(ボクシングニュース) 2016年12月31日
  27. ^ 元WBA世界S・バンタム級王者、下田昭文が引退表明 Boxing News(ボクシングニュース) 2017年2月21日
  28. ^ 下田昭文氏「丁寧に楽しい指導を」アマジムを開設”. 日刊スポーツ (2019年11月17日). 2019年11月19日閲覧。

関連項目

外部リンク

前王者
山中大輔
第32代日本スーパーバンタム級王者

2007年4月9日 - 2008年10月4日

次王者
三浦数馬
前王者
大橋弘政
第37代OPBF東洋太平洋スーパーバンタム級王者

2010年3月28日 - 2010年11月(返上)

空位
次タイトル獲得者
大橋弘政
前王者
李冽理
WBA世界スーパーバンタム級王者

2011年1月31日 - 2011年7月9日

次王者
リコ・ラモス



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