葛西裕一
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/04/17 23:26 UTC 版)
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基本情報 | |
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本名 | 葛西 裕一 |
階級 | スーパーバンタム級 |
身長 | 174cm |
国籍 | ![]() |
誕生日 | 1969年11月17日(55歳) |
出身地 | 神奈川県横浜市瀬谷区 |
スタイル | オーソドックス |
プロボクシング戦績 | |
総試合数 | 29 |
勝ち | 24 |
KO勝ち | 16 |
敗け | 4 |
引き分け | 1 |
葛西 裕一(かさい ゆういち、1969年11月17日 - )は、神奈川県横浜市出身の元プロボクサー、第21代OPBF東洋太平洋スーパーバンタム級王者。
人物
- 日本ならびに東洋太平洋ジュニアフェザー級(現・スーパーバンタム級)王座獲得。同級での世界挑戦を3度経験。最高世界ランキングはWBA・WBC1位。
- 松本好二とは横浜高校ボクシング部の同期で、共に専修大学に進学して中退し、同じ年にプロデビューしている。
- 引退後は帝拳ジムトレーナーとして後進の指導に当たり西岡利晃、三浦隆司、五十嵐俊幸、下田昭文を世界王者にしている。2008年度エディ・タウンゼント賞受賞。日本テレビダイナミックグローブ、WOWOWエキサイトマッチなどで解説者としても活動していた。
来歴
ブルース・リーにはまり格闘技好きに。中学時代に親友と世界チャンピオンの影響でボクシングを始める。
1987年、横浜高校2年時に第42回国民体育大会優勝、3年時に全日本高校バンタム級優勝。専修大学法学部中退[1][2](アマチュア通算48戦44勝24RSC4敗)。
1992年9月5日、15戦目で日本王座初挑戦。小泉秀司と空位の日本ジュニアフェザー級(現:スーパーバンタム級)王座を争い、2回KO勝ち。王座獲得に成功。12月5日には阿部真一を7回TKOに降し、初防衛成功。
1993年4月3日、現役世界ランカーのアブラハム・トーレス(ベネズエラ)とノンタイトル10回戦を戦い、フルラウンドの死闘の末、引き分け。デビュー戦からの連勝は16でストップするが、無敗はキープしたまま。
同年7月3日、山岡正規を10回判定で破り、日本王座2度目の防衛成功。その後、12月20日に王座返上。
1994年3月2日、無敗のまま20戦目で世界初挑戦。東京体育館でWBA世界ジュニアフェザー級王者ウィルフレド・バスケス(プエルトリコ)に挑むが、初回に3度のダウンを喫してのKO負け。自身初の敗北。
世界初挑戦後、ベネズエラ武者修行に。現地でノンタイトル戦2試合を行い、いずれもKO勝ち。
同年9月24日、ベネズエラで南米ジュニアフェザー級王座決定戦出場。ラモン・グスマン(ベネズエラ)と対戦したが、6回負傷TKO負けで王座獲得ならず。その後、日本に帰国。
1995年2月4日、帰国初戦でOPBF東洋太平洋ジュニアフェザー級王座挑戦。権熙允(韓国)をダウンを奪う12回判定で破り、王座獲得に成功。6月3日にはジュン・リヤノ(フィリピン)を10回KOで破り、初防衛に成功。その後、ノンタイトル戦を2度行い、1996年10月14日、東洋太平洋王座返上。
1996年12月21日、世界再挑戦。米国・ラスベガスに渡り、前年にバスケスからWBA世界ジュニアフェザー級王座を獲得したアントニオ・セルメニョ(ベネズエラ)に指名挑戦者として挑み追い詰めるが、12回判定で惜敗。
1997年7月26日、3度目の世界挑戦。横浜アリーナでセルメニョと再戦。最終・12回、王者の連打をまともに浴び、後頭部をキャンバスに強打する痛烈なダウン。ノーカウントで試合がストップされ、TKO負け。試合後、担架に乗せられ、そのまま会場近くの病院へ直行したが、幸い大事には至らず。結局、この試合を最後に引退。その後、9月26日、東京・後楽園ホールのリングにセコンド初登場。
2017年、ボクシング・フィットネスジムGLOVESを設立して独立した[3]。
戦績
通算29戦24勝(16KO)4敗1分
獲得タイトル
脚注
- ^ 同学年のボクサー・葛西裕一さんの世界“再挑戦” スポーツ報知 2017年9月5日
- ^ 葛西 裕一 フェイスブック
- ^ 葛西氏、ジム設立へ 世界王者4人育てた名トレーナー スポーツニッポン 2017年8月18日
- ^ “葛西裕一氏 8年ぶりプロボクシング界復帰 西岡利晃ら育てた名トレーナーがジム会長に 再び世界王者育成目指す 人気漫画「ろくでなしBLUES」“池袋の葛西”のモデル”. スポーツ報知 (2025年4月12日). 2025年4月18日閲覧。
関連項目
外部リンク
固有名詞の分類
- 葛西裕一のページへのリンク