引退セレモニー、その後とは? わかりやすく解説

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引退セレモニー、その後

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/27 08:38 UTC 版)

大木金太郎」の記事における「引退セレモニー、その後」の解説

1995年4月2日行われたベースボール・マガジン社週刊プロレス主催オールスター戦夢の懸け橋東京ドーム大会でそれまで功績を讃えて正式な引退セレモニーが行われた。 車椅子姿で花道入場してきたが、リング・インの際は気丈に立ち上がりルー・テーズと共にリング内に進むと四方頭を下げファン声援を受けると現役時代からであるが流暢な日本語で「(感激で)胸がいっぱいで声が出ません」と涙を流したファンへの感謝お詫び言葉力道山との思い出などを語り引退テン・カウント聞くと眼を閉じて号泣したリング降りる間際ニュートラル・コーナー歩み寄ると、鉄柱に頭を付け愛おしそうに撫でリングをあとにした。 自宅火災遭い全焼してしまい、持っていた過去ビデオや資料がすべて焼失してしまった。その後日本プロレスファンから、自身試合収録したビデオ贈られた際には感激したそうである。 2005年9月の「月刊朝鮮」によると、ソウル市内の病院入院中で、頭突き後遺症による脳血管疾患高血圧心不全下肢浮腫患っている状態であったという。体重は78kgほどまで落ち10年前再婚した夫人看病当たっていると韓国国内報じられた。 2006年9月9日韓国ソウルソウル蚕室総合体育館開かれた世界プロレスリング協会WWA2006ソウル大会」に、数少なき後輩たちのファイト見守るために姿を現した。車椅子乗った大木ことキム・イル現われると、2000人あまりの観衆たちは熱い拍手送り彼の名前を連呼した。痛風にもかかって体の調子が相変わらずよくはないが、「今大会のような世界的大会今後開催されるように、韓国プロレス発展お手助けなりたい多く方々が心配してくれたお陰で健康状態がよくなった。熱心に後輩たちを後援するつもりだ。今後ファンプロレス多く声援送ってくだされば良いと思う」とのメッセージ残した最晩年テレビ番組の企画でアントニオ猪木闘病中の大木自宅訪問している。大木猪木再会大い喜び若き日思い出話語り合った若手時代猪木力道山徹底的にしごかれ、時には付き人として理不尽な仕打ち受けていたが、最も親身に相談乗ってくれたのは大木だったという。なお、猪木デビュー戦相手大木務めている。プロレス界においてタブーともいえる「トップレスラーの得意技使用してはいけない」という暗黙の了解大木破り卍固め使用した際も猪木は「大木さんの技は首を極めておらず、僕の卍固めとは別物でしょう」として咎めることは無かった2006年10月26日ソウル特別市蘆原区の乙支病院において慢性心不全腎臓血管異常による心臓麻痺により死去77歳没。 大木没して14年後となる2020年大韓民国国家報勲処大木金一)が韓国スポーツ界発展尽くした功績評価し国家顕彰者として大田市国立大顕忠院朝鮮語版国家社会貢献墓域国立墓地)に大木改葬することを決定し5月22日大木遺骨納骨された。

※この「引退セレモニー、その後」の解説は、「大木金太郎」の解説の一部です。
「引退セレモニー、その後」を含む「大木金太郎」の記事については、「大木金太郎」の概要を参照ください。

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