引退レース・香港ヴァーズ優勝
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/01 08:16 UTC 版)
「ステイゴールド」の記事における「引退レース・香港ヴァーズ優勝」の解説
通算50戦目の引退レースとなったのは、香港・沙田(シャティン)競馬場で毎年12月に行われる香港国際競走のひとつ・香港ヴァーズ (G1) であった。国際レーティングで120ポンドの評価を得ているステイゴールドは、他馬と4ポンド以上の差がある抜けたトップクラスの存在であり、当日はオッズ2倍の1番人気に支持された。 レースでは淡々とした流れの中で後方から6番手を進んでいたが、第3コーナーからランフランコ・デットーリ騎乗のエクラールがロングスパートを仕掛けて後続を引き離し、ここから流れが高速化した。武は無理にこれを追ってもステイゴールドの持ち味を活かせないと判断して中団に留まり、大きなリードを許したまま最後の直線に入った。直線では素早く馬群を抜け2番手に上がるも、残り200メートルの地点では逃げるエクラールから約5馬身の差があり、さらにステイゴールドは武が警戒していた向きとは逆の右側に斜行を始めた。ここで武が咄嗟に左側の手綱を締め直すとステイゴールドは態勢を立て直し、エクラールを急追。ゴール寸前で同馬をアタマ差交わして1着となり、引退レースで念願のG1制覇を果たした。またこれは同時に、日本の厩舎に所属する日本産馬として初めての国外の国際G1制覇ともなった。 武はゴール前の追い込みを「まるで背中に羽が生えたようだった」と評し、またエクラールがドバイで破ったファンタスティックライトと同じ、青い勝負服を用いるゴドルフィンの所有馬だったことから、「どうもステイゴールドはゴドルフィンのブルーの勝負服を見ると燃えるみたい」とも語った。武はレース後の検量室でデットーリから「またあの馬にやられたよ。どうも、僕とは相性が良くないみたいだ」と言われ、それに対して「ゴドルフィンブルーの勝負服を見ると燃えるみたい。でも、これが引退レースなんだ」と返すと、デットーリは「ユタカは寂しくなるだろうけど、僕にとってはとてもいいニュースだね」という会話があったと述べている。共有馬主のひとりだった競馬評論家の山野浩一は、「まるで一瞬ヴィデオがカットされて一秒くらい飛んだかのように、次の瞬間にはエクラールをとらえていた。いったいその間をどんなスピードで走ったのだろう。少なくとも私は過去にあのような瞬間的なスピードを発揮した馬を見たことはない」と感想を述べている。 5年間に渡った競走生活の末、50戦の節目、引退レースでのG1制覇は、「まさに絵に描いたような大団円」(武豊)、「映画でもドラマでも、二度とは見られないようなシーン」(池江泰郎)、「ここまでドラマチックな幕切れはそうそうあるものではない」(『優駿』)など、史上希に見る出来事として称えられた。この勝利を評価され、ステイゴールドは当年国内においてJRA賞特別賞を授与された。また、生涯G1出走回数20、重賞連続出走回数36は、いずれもナイスネイチャをしのぐJRA記録である。 当初は引退式の予定はなかったが、ファンからの強い要望があったことに加え、JRAからも陣営に要請が行き、翌2002年1月20日、京都競馬場で引退式が行われた。当日は香港ヴァーズで使用されたゼッケンのレプリカを着用し、場内には名前の由来となったスティーヴィー・ワンダーの「Stay Gold」が流された。
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