岡田喜久治とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 岡田喜久治の意味・解説 

岡田喜久治

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/12/19 18:23 UTC 版)

岡田喜久治

岡田 喜久治(おかだ きくじ、1889年明治22年〉7月21日[1] - 1959年昭和34年〉2月2日[2])は、日本内務官僚政治家衆議院議員(3期、立憲民政党)、参議院議員(1期、民主党)。農林政務次官

経歴

栃木県芳賀郡清原村(現在の宇都宮市)出身。1914年大正3年)、東京帝国大学法科大学政治科を卒業[3]。同年の高等文官試験に合格し、宮城県志田郡長、北海道庁理事官石川県理事官を経て、警視庁理事官に任命され、工場課長、保安課長、外事課長、特別高等課長を歴任した[3]。その後、宮崎県書記官警察部長、三重県書記官・警察部長に就任。1927年(昭和2年)、京都市助役となった[3]1929年(昭和4年)、岐阜県書記官・警察部長となり、翌年には宮崎県書記官・内務部長となった[3]

退官後の1932年(昭和7年)、第18回衆議院議員総選挙に出馬し、当選。第20回まで3期連続当選を果たした。その間、米内内閣で農林政務次官を務めた[4]

その他、日本タングステン株式会社取締役、日本竹織株式会社取締役、満洲皮革株式会社監査役などを務めた[4]

戦後は、1947年(昭和22年)4月の第1回参議院議員通常選挙民主党から栃木地方区で出馬し、落選。しかし同年8月の補欠選挙で当選を果たした。1950年(昭和25年)の第2回参議院議員通常選挙自由党から全国区に転じたが落選。1953年(昭和28年)の第3回参議院議員通常選挙で栃木県から再び立候補したが落選した。

1959年(昭和34年)2月2日死去、69歳。死没日をもって勲二等瑞宝章追贈(勲三等からの昇叙)[5]

親族

脚注

  1. ^ 衆議院『第七十回帝国議会衆議院議員名簿』〈衆議院公報附録〉、1936年、12頁。
  2. ^ 『新訂政治家人名事典』
  3. ^ a b c d 『野州名鑑』p.287
  4. ^ a b 『人事興信録』
  5. ^ 『官報』第9635号112頁 昭和34年2月6日号

参考文献

  • 『野州名鑑』下野新聞社、1931年。 
  • 人事興信所編 『人事興信録 第13版(上)』人事興信所、1941年。 
  • 『新訂 政治家人名事典 明治~昭和』日外アソシエーツ、2003年。 



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「岡田喜久治」の関連用語

岡田喜久治のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



岡田喜久治のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの岡田喜久治 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS